sikatanonaimizu フィットネスクラブを舞台に、従業員やフィットネスクラブの会員の男女のプライベートと、少しずつ顔を合わせるだけの人間が絡み合う瞬間を描いた連作短編小説集。
恋愛が軸にあるものの、ほのぼのとした恋愛は1つも無く、全ては澱みグロテスクな男女の関係ばかりである。


『サモワールの薔薇とオニオングラタン』の主人公は美邑、35歳。
年老いた画家の母親と二人暮し。
毎日同じような流れの暮らしを母と営んでいる。
母の作った朝食を食べ、近所のフィットネスクラブに行きプールに入る。
母の手を引き、水中歩行を許されている第六コースで、歩く。
わざとのんびり歩いているのではないだろうかと思うほど、鈍い母親の動き。
それに苛立ちを覚えつつ、美邑は母の手を引き続ける。
大学を卒業後就職した会社でOLをしていた美邑は恋愛経験が少ない女だった。
同じ課の上司とちょっとしたアクシデントがあってから、会社に行けなくなってしまった。
ちょうどその頃、父は愛人が出来て出て行ってしまった。
それに耐えられない母親が気がおかしくなったような振る舞いを続けていた。
或る日それが収まった時、母親と二人何かが止まってしまい、何もしないまま生き続けることになり今に至っている。
美邑は出て行った父に時々会うし、母はその父から仕事を斡旋され絵を描いている。
そんな美邑には気になる男がいた。
フィットネスクラブで見かける泳ぎの上手い男である。
ぴったりとして派手なビキニを履いて堂々と泳ぐ男。
その男を思い気にして第六コースを歩く。
そんな美邑に見合いの話が舞い込み、美邑は新しい扉を開く。


各短編の題名は複雑な題名になっており、そこから物語を推測することが難しい。
しかし、読み終えるとなるほど、だからこんな題名なのねとわかる。
そして、その物語1つ1つは濃い。とても濃い。
リストラされた古書店を営む男と受付嬢の恋、フィットネスクラブの支配人とその妻の危うい関係など、楽しく美しい男女の恋愛は1つも出てこない。
全てが何か黒いものに覆われている。
心を病み、悩み苦しんでいる。
すました顔で日常をやり過ごしたいと思っているが、家に帰れば現実が待っている。
それを束の間忘れる為にフィットネスクラブに通う者、そう願って通い始めたのにそのフィットネスクラブで悩みをこしらえる者。
人間の悲しい性をつきつけられたような不思議な作品集だった。
赤裸々な男女の短篇集で爽やかさや清々しさは皆無だが、面白い1冊だった。


<新潮社 2005年>


井上 荒野
しかたのない水