今朝、とても痛ましい事件が起きました。
朝の街中で、何の罪もない18名もの人が刃物で襲われ、
成人男性と小学生の児童が死亡しました。
今日一日、仕事しながら実に重い気持ちで過ごしました。
仕事が一段落して、ネット内を見て回りました。
たくさんの記事を読みました。
こんなのとか、
https://news.yahoo.co.jp/byline/fujitatakanori/20190528-00127666/
こんなのとか。
https://ueno.link/2019/05/28/poor/
まだ自分の頭と心が整理されていないので、
あまり余計なことは言わない方がいいのかもしれませんが、
備忘録的に今思っていることを書いてみます。
この事件に関連して、
「無敵の人」というのがパワーワードになっています。
失うものが何もない人。
社会的信用もなければ、金もない。
友人もいなければ、恋人もいない。
仕事もなければ、頼れる家族もいない。
そして何より、希望がない。
こういう人にとって、刑罰は罰にならない。抑止力にならない。
現行法が通用しない。
だから彼らは「無敵」なんだと、ひろゆき氏は言うんですね。
彼らは誰からも認知されない。
「可哀想」とすら思ってもらえない。
なんて哀しい話なんだ。
そういう人に「あなたは一人じゃない、あなたには生きる価値がある」と
手を差し伸べるのが福祉なのだというけれど、
今も昔も、みんな自分が生きていくのに必死なんです。
よほど余裕がなければ、「構っていられない」と思うのがホンネでしょう。
そしてこのような事件が起きれば、
それ見たことかと非難が集中するのもまた自然なことでしょう。
社会が悪いのか。誰が何をどう直せばよいのか。
一人ひとりがもっと優しい心を、などという空虚なスローガンを発すればよいのか。
私にはわかりません。
私は幸運にも、今までの人生でどちらの側にもならずにここまで来ました。
全てを失うこともなく、また事件に巻き込まれることもなく。
これは、本当に幸運なことだと思います。
ただただ、運でしかないのかもしれません。
そして、自分が今手にしている物を失うことを想像すると、
底知れぬ恐怖を感じます。
明日悲惨な事件に巻き込まれるかもしれない。
明日地位も財産も家族も全て失うかもしれない。
誰にだって、可能性はあるんだと思います。
そしてそれは、眼を背けたくなる現実です。
やはりまだ、考えがまとまりません。
被害者の方々のことを思うと悲しくなり。
犯人が犯した罪の大きさを思うと怒りを覚えますが、
それ以上に怖さが収まりません。