未来とは、決定しているのか、
それとも何も書かれていないノートのように
無垢なものなのか。

まぁ、そんなことを時々ぼんやりと考えるのですが
もちろん分かるはずはありませんね。

ザイクスに在籍していた頃、伯壬旭軍帥の趣味で
西洋占星術=ホロスコープチャートを
学びました。

ホロスコープは、星座占いをもっと精密にした占いなのですが
必要な要素は、占断する対象の出生時間と、出生した場所。
この要素から計算してホロスコープを作り出すのです。

時と場所が分かっていれば、100年先の未来もホロスコープを
通じてわかるという理屈なのです。西洋占星術の考える運命とは
星の運行により決まった未来なのですね。

キリスト教(主にプロテスタント)の考え方に予定説と
いうものがあるそうです。
一般には新約聖書のヨハネの黙示録にある「裁きの時」が
時間のゴールという考え方です。

裁きの時に天国へ至る門をくぐれる人は既に神のリストに
載っている。裁きの時が訪れるとき備えることが人生の意味と
いう信仰です。

つまり、天国行きの魂は、生まれる前から決まっているという
極端な固定した未来観なのですね。もちろん、キリストの復活を
信じる教徒は、救世主キリストの仲立ちで、神リストに
追加してもらえる訳ですが。

軍帥は、一時期盛んに「自由意志」と「拘束意思」という考え方を
述べていました。指揮系統に収まるのを拘束意思とし、指揮からあえて
外れることを自由意志というのでした。

私が思うに、拘束意思とは、未来は決まっているという世界観の
具現化した見方でしょう。
そして、自由意志とは未来はプレーンでイノセンスという世界のあり方。
だから、知恵と仲間とで未来を創るものということなんだと思います。
未来は誰かが所有できるような、ちっぽけなものじゃないから。

しかし自由意志は誰から、与えられるものじゃないからやっかい。
保護された中から生まれる性質のものじゃないと思います。

ザイクスに関わってしまったことを悔いて、絶望する時が辛いのですが
だから、過去や未来を怯える生き方に”ノー!”と意思表明を
することから自由の糸口は見えてくるのではないかなと思います。

過去に意義を見出し、未来を仲間たちと広げる。

ザイクスに自ら関わった方々が
何らかのかたちで、これから繋がることを願っています。

出会いは偶然、関わりは必然
そんなことを思っています。