考え方を変えてみる・4 ~人生は冥土までの暇つぶし~ | 私、自閉症です。

考え方を変えてみる・4 ~人生は冥土までの暇つぶし~

「人生は冥土までの暇つぶし」


この言葉は、読売新聞の編集手帳で知りました。

今東光大僧正が、「人生とは何ですか?」と問われて、「人生は冥土までの暇つぶしや。だからこそ、上等な暇つぶしをせなあかん。」と答えられたのだそうです。

読売新聞では、「人生は冥土までの暇つぶし。しょせん人生はその程度のもの。しかしだからこそ若者よ、素敵な暇つぶしをしろ。」と紹介されていました。


この言葉を初めて見た時、すごく衝撃を受けました。そして、妙に納得しました(笑)。

私は、息子が「お母さん。僕はなんのために生まれてきたの?」、「どうして障害を持って生まれてきたの?」と聞いてきた時は、いつも、こんな風に答えています。


「意味なんてないよ。ていうか、生きることに意味が必要なの?」

「たまたまお母さんのところに生まれて、たまたま自閉症だっただけ。それだけ。」

「お母さんは、あなたがお母さんの子どもに生まれてきてくれて、とっても嬉しい。それで十分幸せだから、あなたに障害があるとかないとか、そんなことはどうでもいいのよ。」

「そんな無理して生きる意味や目標を作って、わざわざそこを目指して階段を登っていかなくても、今が幸せならそれでいいやん」


あぁ、今まで息子にこんな風に答えてきたけど、生きる意味とか、そんなことの前に、生きるって暇つぶしだったんだと思いました(笑)。

確かに、笑っても一生、泣いても一生なら、上等で、素敵な暇つぶしをして生きていきたいな~って思います。


数年前の調停離婚では、家庭裁判所の待合室で、相手の話が終わるのを待っている時、「こんなことに時間を使うなら、もっと楽しいことに時間を使いたい!こんな暇つぶしは嫌だーーー!!」って思いました(^^;)

人間関係のトラブルに巻き込まれて、体も心もすっかり疲弊してしまった時にも、「こんなことに自分の時間と体力と精神力を使い果たしたくない!!こんな暇つぶしは嫌だーーー!!」って思いました。


やっぱり、同じ時間を使うなら、トラブルや揉め事に時間を使ったり、泣いて苦しんで時間を使うよりも、自分にとって上等で素敵な暇つぶしに時間を使いたいなって思います。

(そうは言っても、避けられない災難や、自分の力ではどうにもならないことも多々あるのが人生ですが(;^_^A)


ちなみに、仕事をしている時は、所詮暇つぶしの人生だから適当に仕事をしよう、とかは思いません(^^;)

適当に仕事をしても、それはやっぱりつまらない暇つぶしです。

保育の仕事でも、ピアノレッスンでも、一人一人の子どものより良い育ちを考え、試行錯誤しながら、それぞれの子どもとまっすぐに向き合っていく方が、より充実した時間を過ごすことができます。

そうして働いている方が、上等で、素敵な暇つぶしをして生きているって実感できます。


それから、この言葉は、肩の力を抜いてもくれます。

いろんな出来事が重なって、煮詰まってきた時には、「いやいや、人生は所詮暇つぶしなんだから、そんなに難しく考えなくてもいいやん。」って思うと、ふっと肩の力が抜けます。

そうして肩の力が抜けた時の方が、案外物事がうまく進んでいったりします^^


そういえば、小学校の運動会が終わった後、息子に「ねぇ。生きるって何?」と聞かれました。

その時、今東光大僧正の言葉を思い出して、「生きるって、死ぬまでの暇つぶしらしいよ。でもさ、悪いことして刑務所の中で過ごすとか、そんな暇つぶしはしたくないよね。どうせなら、良い暇つぶしをして生きていきたいね。」と答えました。


そしたら息子は、「そうやな。僕にとって良い暇つぶしはお金がかかるから(←多分、映画とかUSJのことですね(笑))、大人になったら働いて、お金を稼がなあかんなぁ。でも僕は、今でもけっこう良い暇つぶしができてると思うわ。」と言っていました。


まさか、「良い暇つぶしができている」なんて返答が返ってくるとは思いませんでしたが(笑)、息子が息子なりに充実した日々を過ごせているなら、良かったなぁって思います^^