独特の人間関係の難しさ
保育のお仕事を始めて、なんと今月で1年になります。
いやぁ、まさか1年続くとは思っていませんでした(;´▽`A``
多分、パートだからここまでやってこられたんだろうなぁと思います。
何か失敗しても、周りの職員さんから、「まぁパートさんだし・・・」という感じで大目に見られていました。
これがもし正職員だったら、仕事(人間関係)の厳しさが増すので、失敗するたびに居心地が悪くなって、1年もいられなかったんじゃないかと思います。
一体何をしたらそんなに居心地が悪くなるのかというと、最近読んだ本に、まさに今の職場で私が感じている人間関係の難しさが載っていたので、少し紹介させてください。(一部要約しています)
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わたしら京都に暮らす者にとって、何かいただいたら欠かせないのが「おため」。
いただいた幸せをちょっとお裾分けする、わかりやすく言うと「お返し」のことです。
婚礼のお祝いなどに対する「おため」はもちろんのこと、常日頃ご近所さんからいただくおかずなど、なんでもいただいたら、くださった方に「おため」を渡します。
何かもらったのに「おおきに」だけでは、決してすましまへんのです。
そういうやりとりをきちんとできなければ、京都では「付き合いもろくにできひんのやろか」と非難の目で見られることになります。
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人に何か頼みごとをする時の「せいてせかへんけど、よろしゅう頼みますわ」という言い回し。
急ぐかというと急がないのだけれど、よろしくお願いします、という意味です。
これを額面通りに受け取ると、よろしくありません。
こう言われたらむしろ、せかなあかん―急がないといけない、のです。
「せいてせかへんけど」とは、頼む側が相手に対して「無理せんといてや」という配慮を表した言葉。
その実、多少急いでいる心持ちも表れている言葉です。
ですから受けた側もその気持ちをくんで急いで仕上げます。
それが、相手への思いやりというものです。
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お友達とお茶を飲んでわいわいおしゃべりするような会で、お饅頭が一つ余ったとします。
「半分こしましょ」となりますが、こういうとき、きっちり二分の一ずつ分けますと、ちょっと気配りのできない人、厚かましい人と見られてしまいます。
京都では、「四分六分け(しぶろくわけ)」といいまして、「半分こ」と言った当人は四分取り、お相手には六分渡すというのが一種の常識となっているからです。
例えば、お嫁さんとお姑さんが一緒に暮らすお家のお昼ご飯。
二人でお肉料理を取り分けるとします。
お姑さんが「あたしは脂っこいもん、もういらんえ」といくらおっしゃったとしても、やっぱりちゃんと六分お渡ししなければなりません。
お渡ししたうえで、お姑さんが「こんなようけいらんわ。あんたのほう少ないし、換えっこしましょ」と言って交換するということになります。
そんなことなら、最初から小さい方をお姑さんに出したらええのにと思われるかもしれませんが、それはあかんのです。
こうしてひと手間かけることで、お姑さんを立てる姿勢を示しているわけです。
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・・・とまぁ、こんな感じです。
京都では必ずこういったお付き合いをしなければいけない、というわけではないと思いますが、京都の古くからの伝統ある地域や、年配の方の間では、今も受け継がれているお付き合いの風習なんだろうなと思います。
私が今、職場で感じている人間関係の難しさって、まさにこれだな~と思います。
要は、目上の人を常に立てなければいけないのですが、ただ立てるだけではなくて、「四分六分け」のような配慮が必要なのです。
また、「お返し」、「お礼」、「ご挨拶」などのやり取りが頻繁で、失敗すると「礼儀知らず」となるので、何かある度に、お礼を忘れないようにとか、こちらは何をお返ししようかとか、いろんなことが気になります。
(繰り返していると、だんだん覚えて、慣れてきますが(;^_^A)
ただ、私の場合、ユニークタイプの特性で、相手の言葉は額面通りに受け取るので、イケズ(嫌味)を言われていてもすぐ気が付きません。
婉曲な表現になればなるほど気が付かないので、普通ならイケズ(嫌味)を言われて落ち込んだり、傷ついたりするところを、気が付かずに流している面もあります(笑)
この本を読むと、京都の伝統ある地域でのお付き合いをこなせたら、きっとどこの地域に行ってもやっていけるんじゃないかという気がします(笑)