子どもになめられる? | 私、自閉症です。

子どもになめられる?

子どもと関わるお仕事をしていると、いろいろな保育者を目にします

中でも、時々耳にするのが、「○○先生は子どもになめられている」という言葉。


この「なめられている」という言葉、私はすごく違和感があります。

そもそも、小学生ぐらいの子どもが大人をなめているというならまだしも、2~3歳の子どもが大人をなめるなんてことがあるのでしょうか?


確かに、子どもを見ていると、「A先生の前ではテキパキ動くけれど、B先生だとダラダラして動かない」ということがあります。

また、ふざけている子どもたちに対して、「A先生が一声怒鳴れば子どもたちはたちまちシャンとするけれど、B先生がいくら注意しても子どもたちは一向に聞いてくれない」ということもあります。


2人の先生を比較すると、「A先生は統率力があり仕事ができる、能力が高い」、「B先生は子どもになめられている」と評価されがちです。

でも、これって本当にそうなのでしょうか?


もし、A先生と子どもたちの間にしっかりした信頼関係があり、その信頼関係を基盤として子どもたちが先生の言うことを聞いてくれているのなら、何の問題もないと思います。

けれど、信頼関係もなく、A先生はただ単に怒鳴って子どもたちに言うことを聞かせるスキルが高いだけなのだとしたら、それは良い先生とは言えないんじゃないのかなぁと思うのです。


職場でも、「○○先生はなめられているよね~」と言われる先生がいます。

(ちなみに私も、その評価で言うなら、「なめられている」部類に入ると思いますが(^▽^;))


「なめられている」とは、「子どもを指示通り動かすことができない」=「仕事ができない」という意味で使われていますが、私から見ると、○○先生はなめられているのではなく、子どもはその先生の前では気を張って頑張る必要がないんだろうなと思います。

リラックスしているから、ちょっと行動が遅くなったり、甘えた姿を見せたりしているだけで、それがそんなに悪いことだとも思えないのです。


子どもが危険なことをした時や間違ったことをした時、一人で勝手な行動をしているように見える時は、もちろん毅然として対応しなければなりません。

でも、2~3歳の子は悪意があってしているわけではなく、そこには子どもなりの理由があります。

そこを全く見ようともしないで、威圧的に言うことを聞かせていても、子どもはただ言われたから従っているだけで、自ら正しい行動をしようとする心(自制心)は、育っていかないように思います。


私が関わっている子どもの中に、情緒が不安定な子がいます。

その子は、大人や友だちにかまってほしくて仕方がないのだけど、その「かまってほしい」行動は、困った行動だったり、周りを苛立たせるような行動なので、友だちからは嫌がられ、大人からは叱られてばかりいます。

それでも、その子は叱られてでも自分の方を向いてほしいので、結果的に良くない行動がエスカレートしています。


「かまってほしい」→「怒られる」という姿が繰り返されるのを見ていると、その子の満たされない気持ちが伝わってきて、本当にせつなくなります。

だから、できるだけその子をぎゅっと抱きしめて、「大好き♪」と耳元でささやくようにしました。

「あなたのことをちゃんと見ているよ」、「あなたの存在が大切なんだよ」ということを、少しでも伝えたかったのです。

時間にして数秒、1日のなかでもほんのわずかのことですが、それでも少しずつ安心してきたのか、以前よりも落ち着いた姿を見せてくれるようになってきています。


「子どもになめられてはいけない」、「大人の指示通りに動かさなければいけない」、という視点でいると、大人は指示する側、子どもは指示される側、という上下関係でしか子どもと関わりを持てなくなってしまいます。

でも、大人だって、こちらの気持ちを全く考えずに、威圧的に指示をしてくる上司よりも、日頃から信頼関係があり、こちらの気持ちを汲もうとしてくれる上司の方が、気持ちよく指示を聞くことができます。


子どもは不完全な人間なのではなく、心を持った大切な1人の人間です。

子どもと関わる仕事において、威圧的に言うことを聞かせるスキルを高めれば、効率的に仕事ができるようにはなるかもしれません。

でも、そんな上下関係で子どもと日々を過ごすよりも、たとえ面倒でも、時間がかかっても、お互いに信頼しあえる関係の中で、私は子どもの育ちをサポートしていきたいなぁと思います。