愛情について学ぶ② ~愛についての誤解~ | 私、自閉症です。

愛情について学ぶ② ~愛についての誤解~

『愛情について学ぶ』の記事は、

愛するということ

フロム『愛するということ』 2014年2月 (100分 de 名著)

の2冊を参考にしています。(引用は一部要約しています。)


どうすれば、人を愛せるようになるのか。

フロムは、著書の中で、愛は、愛する対象が現れれば自然に愛するようになるのではなく、愛には技術(愛する能力)を磨くことが必要だと言います。

そして、愛には3つの誤解があるとしています。


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第一に、たいていの人は愛の問題を、愛するという問題、愛する能力の問題としてではなく、愛されるという問題としてとらえている。つまり、人びとにとって重要なのは、どうすれば愛されるか、どうすれば愛される人間になれるか、ということなのだ。

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確かに、私も、恋愛に夢中になっている時は、彼の愛情を得るために、彼に好感を持たれるような振る舞いをしたり、彼の望みはできるだけ叶えようと努力したりしていました。

『彼を愛してるから、○○する』というより、『彼に愛されたいから、○○する』と、愛するよりも、愛されるための努力を一生懸命にしていたなぁと思います。


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第二に、愛の問題とはすなわち対象の問題であって能力の問題ではない、という思いこみである。愛することは簡単だが、愛するにふさわしい相手、あるいは愛されるにふさわしい相手を見つけることはむずかしい―人びとはそんなふうに考えている。

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一昔前は、結婚相手は、両親や仲人によって決められるものでした。

当人たちは、結婚当日まで、妻や夫になる人の顔を知らないことも多く、愛情は、結婚してから育まれていくものでした。

けれど、自由恋愛の時代になり、結婚相手を自分で選ぶようになったことで、自分の愛する能力を磨くよりも、愛する対象を見つけることに重点が置かれるようになったのだと思います。


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第三の誤りは、恋に「落ちる」という最初の体験と、愛している、あるいはもっとうまく表現すれば、愛のなかに「とどまっている」という持続的な状態とを、混同していることである。

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恋に「落ちる」のは、あまり努力は必要ありません。

でも、「愛し続ける」ためには、フロムが言う「技術(愛する能力)を磨くこと」が必要なのだと思います。

また、フロムは、次のようにも言っています。


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二人は、たがいに夢中になった状態、頭に血がのぼった状態を、愛の強さの証拠だと思いこむ。だが、じつはそれは、それまで二人がどれほど孤独であったかを示しているにすぎないかもしれないのだ。

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恋愛に依存して、自分の存在意義を満たそうとしたり、孤独を癒そうとしても、それは一時的なもので、相手がいなくなれば、また自分の存在意義が分からなくなり、孤独に逆戻りしてしまいます。

恋愛の前に、まず、日々の生活の中で自己肯定感が十分に満たされてこそ、依存ではない、健康的な愛を育んでいくことができるような気がします。


フロムは、『愛の失敗を克服する適切な方法は一つしかない。失敗の原因を調べ、そこからすすんで愛の意味を学ぶことである。』としています。


今まで、恋愛がうまくいかなかった時は、「相手に問題があるから」、「お互いの相性が合わなかったから」、だと考えていて、自分の愛する技術を磨くことが必要だとは思ってもみませんでした。

フロムは、愛する技術を習得するためには、他の技術(音楽、絵画、大工仕事、医学、工学)を学ぶ時と同じように、理論を学び、その習練に励むことが必要だと言います。


さて、愛する技術を習得するためには一体どんな習練が必要なのか、気になるところですが、その前に、そもそも人はなぜ愛すること、愛されることを求めるのでしょうか。

次の記事に続きます^^