愛情について学ぶ③ ~なぜ愛するのか~
『愛情について学ぶ』の記事は、
・フロム『愛するということ』 2014年2月 (100分 de 名著)
の2冊の本を参考にしています。(引用は一部要約しています)
今こうして愛情について考えているのは、いつか息子が大きくなった時、私のように「誰も私のことを分かってくれない」という寂しさや、「誰かにすがりたい」という依存心から恋愛を繰り返すのではなく、一人の人間として、成熟した恋愛をしてほしいなぁと思っているからです。
そもそも、人はなぜ、人を愛するのでしょうか。
フロムは、
『人間は孤独で、自然や社会の力の前では無力だ』
『孤立こそがあらゆる不安の源なのだ』
『孤立しているということは、他のいっさいから切り離され、自分の人間としての能力を発揮できない』
としています。
そして、『人間のもっとも強い欲求とは、孤立を克服し、孤独の牢獄から抜け出したいという欲求』であり、孤独から逃れるために様々な方法が試みられてきたと言います。
一つは、『祝祭的興奮状態』です。
古くは、部族全体で行われる儀式や祭りが、これに当たります。
現代では、アイドルのライブやスポーツの応援に熱狂する集団などもこれに当たるようです。
大勢で盛り上がり、集団との一体感を感じる時、人は、自分が孤独であることを忘れられるのだと思います。
二つ目は、『集団への同調』です。
自分が、集団と異なっていたり、群れから離れてしまったりすると、不安や恐怖が生まれます。
たとえ細かな個性の違いはあっても、なんとなく集団の中でうまくやっていれば安心できます。
わが子に障害があると言われた時、わが子が不登校になった時・・・、そこから生まれる不安は、いわゆる『普通』と言われるグループから離れてしまうことへの不安もあるのではないかなと思います。
三つ目は、『創造的活動』です。
大工がテーブルを作ること、画家が絵を描くこと、農民が穀物を育てること、陶芸家が食器を作ること・・・、どんな種類の創造的活動も、創造している人間は、素材と一体化します。
確かに、私も、ピアノを弾いている時は、自分の世界に入り込み、自分が生み出す音と一体化しているような感覚になることがあります。
でも、これらの方法では、本当の一体感を得ることはできません。
『祝祭的興奮状態』は一時的な一体感であり、『集団への同調』は偽りの一体感であり、『創造的活動』は人間同士の一体感ではないからです。
それでは、本当の一体感を得て、孤独から逃れ、孤立を克服するためにはどうすればいいのでしょうか。
その答えとして、フロムは、『完全な答えは、人間どうしの一体化、他者との融合、すなわち愛にある』としています。
(ただし、愛のない性的な交わりは、終わった後にかえって孤立感を深めるだけだとも言っています)
また、一口に愛と言っても、相手に依存した愛もあれば、自分自身をしっかりと保ったままの成熟した愛もあります。
次回の記事では、この二つの愛の違いについて考えてみたいなと思います^^