愛情について学ぶ⑦ ~愛の種類~ | 私、自閉症です。

愛情について学ぶ⑦ ~愛の種類~

『愛情について学ぶ』の記事は

愛するということ

フロム『愛するということ』 2014年2月 (100分 de 名著)

の2冊の本を参考にしています。(引用は一部要約しています)


これまで、未成熟な愛と、成熟した愛について考えてきました。


フロムは、「あなたが必要だから、あなたを愛する」と言うのは、未成熟な愛だとしています。

無意識にでも、「(金銭的に)、(私の癒しのために)、(私の孤独の解消のために)、あなたが必要だから、あなたを愛する」のだとしたら、それは自分のために相手を利用しているにすぎません。


これに対して、「あなたを愛しているから、あなたが必要だ」と言うのが、成熟した愛です。


また、愛は、愛する対象によって、さまざまな種類があるとしています。


一つ目は、『兄弟愛』です。

ここでの兄弟とは人類全体のことで、排他的なところは全くありません。

身内ではなく、自分の役に立たない者(無力な者、貧しい者、よそ者など)を愛する時にはじめて、兄弟愛は開花するとしています。


二つ目は、『母性愛』です。

「これでよし」と、子どもを無条件に肯定することです。

子どもは自分の一部だと感じている母親や、支配的な母親は、子どもを自分の思う通りに行動させようとしますが、そんなふうに、子どもを自分の満足のための道具にするのは、本当の母性愛とは言えません。

フロムは、自分のためには何も望まず、子どもの成長を気づかい、子どもが成長とともに自分から離れてゆくのを望み、そして別離の後も変わらず愛しつづけることができるのが、本当の母性愛だとしています。


三つ目は、『異性愛』です。

現代社会では、異性愛は、愛する対象と出会った時に、自然に生まれてくる感情だと考えられています。

けれど、もしも単なる感情だったら、生まれた後に、また消えていってしまいます。

フロムは、「誰かを愛するというのは、たんなる激しい感情ではなく、それは決意であり、決断であり、約束である」としています。

愛するという行為が、たんなる感情ではなく、自分の決意と決断でもあるからこそ、「愛し続ける」という努力も必要になるんだろうなと思います。


四つ目は、『自己愛』です。

自分自身に対する態度と、他人に対する態度は、基本的につながっています。

自分の個性を尊重し、自分の人生・幸福・成長・自由を肯定し、自分を愛することができてはじめて、人は、他人を尊重し、他人の人生・幸福・成長・自由を肯定し、他人を愛することができます。

これは母性愛についても同じで、自分自身を愛し、人生に幸福を感じている母親の愛は、子どもに感染しやすく、そのような母親に育てられた子どもは、生きることへの愛や喜びや幸福を知ることができるとしています。


五つ目は、『神への愛』です。

すべての宗教において、神は最高の価値、最高の善の象徴です。

ほとんどの人にとって、神を信仰することは、自分を助けてくれる父親を信じるというのと大差ありません。

しかし、フロムは、「真に宗教的な人は、何かを願って祈ったりしないし、神に対していっさい何も求めない。子どもが父や母を愛するように神を愛したりはしない。」としています。

フロムが言う「神への愛」とは、祈ることではなく、神との一体感を体験することのようです。

要は、神を信じたり、祈ったりするだけじゃなくて、私と神が一つになって、日々の生活の中で正しい行いを実践して、神との一体感を体験しなさい、ということなんだろうなと思います。


フロムは、「愛とは、特定の人間に対する関係ではない。世界全体にたいして人がどう関わるかを決定する態度、性格の方向性のことである。」としています。

なんだか、どんどん壮大な方向へと話が進んでいて、最後に話がまとめられるのか不安ですが(笑)、愛について考えることは、自分自身がどう生きるかについて考えることにもつながっているんだろうなぁと思います。