愛情について学ぶ 最終回 ~まとめ~ | 私、自閉症です。

愛情について学ぶ 最終回 ~まとめ~

『愛情について学ぶ』の記事は、

愛するということ

フロム『愛するということ』 2014年2月 (100分 de 名著)

の2冊の本を参考にしています。(引用は一部要約しています)


最終回です!すごいです!よく書ききった!私!

これ書き終わったら打ち上げしようかなと思うぐらいの達成感があるわ~(笑)!

・・・と、一人で盛り上がりつつ(笑)、気を取り直して、まとめです(^^;)

まず、フロムの言葉からです。


資本主義社会では、物だけでなく愛においても、「あなたが私にくれるだけ、私もあなたにあげる」というのが、もっとも一般的な倫理原則となっている。

資本主義社会において、すべてを決定する要因は、市場における交換である。


資本主義社会では、人は、自分の『労働力と時間』を『お金』に交換し、手に入れたお金と欲しい商品を交換して、生活をしています。

できるだけ自分が損をしないように生活する中で、公平な交換、もしくは、自分がより得をするような交換に、価値が置かれるようにもなってきました。

それはべつに悪いことではありませんが、交換の原則を、物質だけではなく、恋愛や結婚にも当てはめてしまったことで、自分と同じかそれ以上の相手を探したり、また、お互いに依存しあうことで自分の存在価値を確認する共依存的な恋愛が、増えてしまったのかもしれません。


『愛情について学ぶ⑦ ~愛の種類~』の記事の中で、神への愛について触れましたが、この記事を書いている時、自分が、神様にも公平な交換を求めていることに気がつきました。

たとえば、5円、10円のお賽銭で、私の願いを叶えてほしいとは思いませんが、1000円とか出してしまうと、「これで金運が上がらないかな~」とか、1000円に対する見返りを求めてしまいます。

フロムは、『真に宗教的な人は、何かを願って祈ったりしないし、神に対していっさい何も求めない。』と言っていましたが、「お賽銭を1000円あげたんだから、私の金運あげてよ」って、無意識のうちに、市場原理(お金を払うから、それに見合った商品をちょうだい)を、神様に対しても当てはめていたんだなぁって思います(;^_^A


生まれた時から、資本主義社会で、公平な交換の市場原理に組み込まれて生きてきた私たちは、無意識に、『愛情』にも公平な交換を求めがちです。

でも、そんな時、「あぁ、私は今、愛情にも、公平な交換(市場原理)を求めているんだなぁ」と自覚するだけでも、自分の思考にストップをかけることができます。

経済を中心として回っている社会の歯車に組み込まれて生きるのではなく、しっかりとした自己を持ち、自分の愛する能力を磨こうとするだけでも、資本主義と愛情を切り離して考えられるようになるかもしれません。


最後に、『フロム『愛するということ』 2014年2月 (100分 de 名著) 』の著者の言葉を引用して、この記事を終わりたいと思います。


人間は愛を経験する中で成長し、成熟していくのです。

恋愛というものは決して人生一度きりのものではありません。

一つの恋愛が結果的にはフラれたり、別れてしまったりして失敗に終わったとしても、そこから学び、次に向けて成長していけばいいのです。


恋愛をすると精神の深いところまで刺激され、自分の中の物語の組み替えが起こります。

自分が作り上げた物語の中を生きているだけでは、そこに成長はありませんが、他者が絡むことによって物語はどんどん変化し、今まで自分だけでは分からなかったことが新しく見えてくるのです。


『愛するということ』は、成長すれば自然にできるようになるのではなく、お互いに努力をする日々の中で、愛する技術が少しずつ磨かれて、成長し、成熟していく感情だったんだなと思います。

怒りや悲しみなどの感情コントロールと同じように、愛情も、そのコントロール術を磨き、成長させていくことで、人としてより豊かな人生を味わうことができるようになるのかもしれません(*^^*)