いじめと戦争は、根っこは同じ
子ども社会でよく問題になるいじめですが、大人社会でもよくありますよね。
私が今いる職場でも、集団で悪口を言う、相手を見下した態度をとるなど、特定の人に対する嫌がらせがあります。
ターゲットになっているAさんは、仕事ができなかったり、空気を読まずに行動したり、思ったことをストレートに言ったりしてしまうので、周りを苛立たせてしまうところがあります。
怖いのは、いじめの加害者が、自分こそ被害者だと思っていることです。
私はAさんの言動で傷つけられた、Aさんのせいで余計な仕事を増やされた、Aさんのせいで嫌な思いをさせられた・・・。
だから、そのストレスを解消するために、Aさんの悪口を言ったり、Aさんを侮辱するような態度をとるのだと、自分を正当化しています。
でも、(自分にとって正当な)理由があるからと言って、人をいじめてもいいのでしょうか?
悪口は、言えば言うほど、相手を嫌いな気持ちが増していきます。
集団で悪口や文句を言って、その時はストレス解消したような気持ちになっても、頭の中が嫌な記憶でいっぱいになってしまうので、実は余計にストレスがたまってしまうのです。
本当にストレスを解消しようと思ったら、スポーツや音楽、料理などの趣味の活動や、私ならテーマパークで遊びまくって、嫌な記憶よりも、楽しい記憶で頭の中を埋めてしまった方が、よっぽどスッキリして気持ちを切り替えることができます。
以前、服巻智子先生のいじめ対処法セミナーに参加した時、「いじめられっ子に原因がある」という言葉は、絶対に言ってはいけない言葉だと教わりました。
「いじめられっ子に原因がある=理由があったらいじめてもよい」というのは、戦争を肯定するのと全く同じ心理なのだそうです。
確かに、「相手が悪い、相手に原因がある」という理由でいじめるのは、戦争を肯定する心理と何も変わらないなぁと思います。
「戦争」の反対の言葉は、「平和」ではなく「外交」だと聞いて、全くその通りだなと思いました。
大人の社会は、卒業も、クラス替えもありません。
理不尽な目にあっても、”上司に訴えて解決する”というような正論では解決しないがことがほとんどです。
自分が嫌いな相手とも、折り合いをつけたり、やり過ごしたりしながら、なんとかうまく付き合っていかなければいけません。
どうしてもうまくいかない、やり過ごすこともできない時は、思いきってその場から逃げて、環境を変えてみるのも一つの方法だと思います。
少なくても、私は、相手をいじめてウサ晴らしをするような、そんなやり方には頼らない生き方をしていきたいなって思います。