移行に伴う日記後編
7/10(月)
毎朝の吉方取りの写真。
単調なのでアングルを変えようとしたらこんなことに。
滅入っているんだな。
この日のくまモンツイッターは、先日行ったフランスの写真。
なぜか切なく見える。
あー、行っちゃうんだね。って感じてしまった。
7/11(火)
お昼頃、病院から電話。
血圧が下がっているので、家族に来て欲しいと。
危篤とか、今日明日にも、、、とか、はっきり言わない。
でも今日は11日。ゲートの日。
、、、、行っちゃうのかな?
姉と父はすぐ向かう。
私は夕方に予約が入っていたので、それが終わってから。
それまで待っててね。
何故か予約のかたは早めにいらっしゃった。18時に閉めて行けそうだ。
不安なのに、空が綺麗だ。
病院到着。
痛いというので、痛み止めの点滴をしているそうで、朦朧としていて会話はできない。前回あった時の最後の言葉ってなんだったろう?『体に気をつけなさいよ』だったかな?
もうかなり辛そうなので、長生きしてなんて言えない。
手を握りながら『無理させちゃってごめんね』と言った。
『いつも助けてくれてありがとう』は口に出せなかった。
辛そうではあるが、今すぐどうこうというのではなさそうな。一旦帰るか迷ったが病院に泊まることにする。してあげることもなさそうなので、ロビーでオニギリなど食べながら、今後のことを相談していると、
看護師さんに呼ばれた。
数値がゼロになったと。
当直医がやってきて、装着していた心電図の数値と、瞳孔の検査をして、『ご臨終です』と。
え、こんなんでいいの?
テレビで見るようなモニター画面がないし、心臓マッサージもしない。(そう希望したからだけど)
まだ、体も冷えてるね、くらいだし。
口が動いたり。
死因もよくわからない。
肝硬変だろうけど、それでも生きてた。
その境って、そんな曖昧なものだったんだ。
生きてるって、奇跡的なことなんだな。
体の機能というより、魂の問題なのかも。
すぐに葬儀屋に連絡して運んでもらうよう言われる。
父の車で後をついて、隣の市まで。
冷蔵庫のような中に保管されるのだ。
もう魂は抜けてるよね?
つらくないよね?
帰り道、街灯のない道に迷い込み、なかなか帰らせてもらえない。
母もまだ戸惑っているのかな?
くまモンが公式ツイッターで、暗闇の中から『おやくま』。
暗くても、一緒なら怖くないね。
おやすみ。
7/12(水)
定休日に合わせてくれたのか?
葬儀の打ち合わせを一緒にできてうれしい。
7/14(金)
葬儀。
保管いただいた葬儀屋さんで最後のお別れをして、火葬場に向かう。
助手席に乗り、長いこと黙って揺られていたので、考え事。
寿命は決まっているのかもしれない。
だけど、それまでどう過ごすかは自分次第ではないのか?
健康で笑顔で過ごし、愛に包まれ、眠るように旅立ちたい。
多くの人がそうなるために、私に、自然食カフェに、できることなんだろう?
残念ながら、どんなにこだわって、自然栽培素材で、化学物質をさけて、自然なメニューを用意しても、
一度食べただけで病気が治るわけではない。
衣食住全般に化学物質を摂取しないよう気をつけて、環境の良い土地に住んで、心の健康にも気をつけて、、、
と、思うのだが、
気にしすぎると、ストレスで不健康になりそうだ。
なんでこんな複雑な世の中になったのか?
誰かの陰謀かもしれない。
恐れのせいかもしれない。
本当は、自然はもっとシンプルで美しいのでなかったか?
健康になるのも、もっとシンプルな方法があるはず。
やっぱり『波動』だろうか?
『音』『声』で癒せるのではないか、と感じる。
歌が好きで、ボーカルをしたりしていたせいか?
美しい波動を出す楽器は色々あるが、
体ひとつで、どこでもすぐに使える体という楽器を使いこなしたい。
後日、ヒーリングライアー(楽器)を見せてもらいながら、さらに強く思う。
火葬はあっけなく終了。
火葬の後に、告別式のようなものを集会所で。
市から格安で借りれる祭壇がとても立派だった。
くまモンのツイッター。
くまモンを探せ的な面白画像なのかもだけど、なんだか寂しげにみえる。
式の後、
揉め事があったりしたが、
残された家族はベストを尽くしたよね?
母を亡くして、
自分を責める要素はたくさんある。
カフェでこき使った。
家で家事を全部してもらった。
体の辛さを真剣に聞いてあげなかった。
花嫁姿を見せてあげられなかった。
仕事でも安心させてあげなかった。
経済的に援助するどころか、してもらった。
もっと旅行に連れて行きたかった。
広い家に住まわせてあげたかった。
昨年実家に引っ越した時の方位が悪かったせいなのか。
などなど
なのに、
思ったほど絶望的ではない。
自分の駄目さを認められるようになったせいもあるのかな?
入院中の方が、いつ失うのか?という恐れと格闘した。
もっとなんとかするべきでは?と焦った。
失ってしまったら、もうどうすることもできないのだ。
亡くなるということは、全て無になるのではなく、
肉体を離れただけの、『移行』だと、私は信じている。
旅行に出てるから会えない、と同じようなものではないか?
旅行中なのは、この世にいる方か。
母は故郷に帰ったのだ。
あちらには、早くに別れた家族もみんないる。きっと幸せにしてるよね?
後日、身近な人が亡くなったというお話を立て続けに聞いた。
時代が変わる前の、今年は節目なのか?
それとも、原発事故から5年での影響なのか?
自然食カフェを、情報共有の場にしたかったのだが、
更に次の段階に進むための、試練だったのだと思う。
母も向こうの世界から、違う方法で支援してくれているのかもしれない。
もっと愛に溢れた世の中になるように、
私にできる、目の前の事を一つずつやっていこう。
そして、未来のビジョンも描こう。
そう思う人が増えれば、どんどん加速していくはずだ。
その変化を見届けてから、私は旅立ちたいな。
くまモンは熊本県の営業部長兼しあわせ部長です。
写真は公式ツイッターからお借りしたもので、本文とは関係ありません。
が、いつもとても意味深く、
くまモンから学ぶことが多いので、
使わせていただきました。