物語の魅力は人間にあるな、

などと再放送の「信長協奏曲」を見ながら思います。

 

 

怒涛のライトノベル読破に続き、

懐かしい栗本薫さんの未読シリーズ読破の途上で、

物語の定型や人物像の定番が脳髄に染み入りました。

 



 

読み出せば、

ラスト、つまりは答えに向かって突き進むことで、

現実にはシャッターを下ろした安息を得ようという読書もあるんだぁ、

という三カ月でございました。

ヤバイ冊数になりましたについては(1日五冊とか)、

良くも悪くも「パターン」が速読に拍車をかけた結果でございます。

 

 

となりますと、




パターンに飽きるということも?

 

 

おもしろいなと思います。

パターンが、

ではなく、

パターンの中で生きる人間が。





 

 

正直申し上げますと、

爆走して読み切ってしまう場合は、

そのパターンの斜面をスケボーで滑り降りるだけでした。

 

 

同時に思いました。

 

 

人の間に起こる大波小波は、

大体が似通ったもの。

違いますのは、

その舞台で生きる人間でございます。

 



 

その人間に引き寄せられます時は、

馴染んだ糸のパターンが卒然として色を持ちます。

その目に映る空の色までが目に浮かぶ。

そして、

その心に起こるすべてが己のもののように感じる。

やはり、

魅力は人間に発するものなのだ。

そんな理解をもった物語行脚でした。

 

 

あ、

信長協奏曲、

パターンの織を突き抜けて、

強引に生まれ出てくる人物たち、

小栗旬さん演じる初めて自分の手で人を斬った信長(サブローくん)も、

高橋一生さん演じる斬られた浅井長政も、

その瞬間に生きてそこにありました。

惹きつけられました。

 

 

で、

結果、

いや物語行脚の結果ですよ、

結果、

今の自分のリアルも、

ときに八方ふさがりのように思われても、

肝心なのはそこに生きる自分だと思えるようになったわけです。

そんなの最初から知ってたさ、

と若い頃の自分なら笑ったかもしれません。

 

 

いや笑ったな、確実に。

 



 

還暦過ぎたってことでございます。

ほんと世は生きづらきものでございますが、

そのつらさに愛おしさを感じるのは、

余裕などという口幅ったいものではなく、

自分ってかわいいよなあぁという感慨みたいなもの。

 

 

年を経るごとに重なってきたであろう様々が、

けっこう土台から揺すられた春からの日々でしたが、

思い切り揺すって落とされた様々の下に残る「書く」は『核』かな、

あらら、

この記事を書く間に答えが出たようでございます。





 

 

皆様、

読んでくださる皆様、

まことに長き閉店期間にもご訪問下さった皆様、

さしたる覚悟も定まらぬまま投稿した記事を開いてくださった皆様、

心から感謝申し上げます。

まだまだ未熟であり、

不健康で、

できぬ介護事情の切迫感漂い、

いろいろと安定致しませんが、

どうやら「書きたい」思いは確かな芽を吹いたようでございます。

 

 

古書店、

再開いたします。




 

 

読んでくださる皆様、

読んでくださった皆様、

遠く見守ってくださる皆様、

なつかしい見守ってくださった皆様、

当店に関わってくださった皆様のくださったすべてに感謝申し上げます。

今ここにある自分を大切に、

ゆっくりと書いてまいります。

 

どうか

ふたたびのご愛顧を賜りますようお願い申し上げます。

 

画像はお借りしました。

ありがとうございます。

 

 



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