物語を書くというのは、

不思議な行為だなぁ、と思います。




 

 ソロでは難しい。

 書割の中に一人の人物。

 だから「目」として黒猫がいたのですが、

 思いつく書割を書き尽くしたら、

 そこで終了です。




 

 「対話」が必要と知りました。

 二人の人物が定まった瞬間、

 流れは怒涛となりました。

 や、や、やばくない?

 すぐにも心中してしまう。




 

 「脇役」は、

 主人公のレスキュー隊として、

 どんどん投入されました。

 死んじゃう 死んじゃう 死んじゃう……。

 物語の暴走トラックモードは加速し、

 レスキュー隊の面々はレスキューたり得るだけの人物であるために

 瞬時に肉付けが進みます。




 

 もう「主役」の肉付けは、

 人物像としてではなく物語の核というか、

 世界観の範疇の表現となり、

 人間の物語は「脇役」の生き様が語ります。

 一つの運命を見届ける群像劇?

 みたいな今となりました。

 

 



次に進む前に、

主役に新たな「核」が定まるでしょうか。

 

 

現在は、

かつての怒涛はありません。

激流を描くというより、

湖面を描いている感じ。

場面を動かす流れを書き上げると、

その中で動き回る群像の心情が肉付けされる。

推敲というのではなく、

一度書き上げた文章を、

書き足しながらもう一度書く作業をしています。

 

読んでくださる皆様がおられて、

こうしてゆっくり書くこともできるようになりました。

心から感謝申し上げます。


⭐ホワイトレースフラワー  感謝



4月からの激動に、

しばらくは本当に読書ワールドで心を休めながら自分を再構築しておりましたが、

やはり、

書くこと、自分と向き合うことが「前へ」と進むには欠かせない作業だな、

と学んだ気がします。

ありがたいことです。


 



 

コロナ禍の矛盾は小市民の生活も揺らしております。

ちょっと書けないな、

と悶々としているうちに、

身体も頭も衰えていくわけで、

物語を書きますのも整理整頓だなぁと思う今です。

 

しばらくは自分の今を離れ、

記事にしましても、

花鳥風月、及び歌舞音曲やらドラマやら小説やら、

人の思いを結晶した創作物に寄せて思いを語る中に、

鬱屈を昇華するという書き方となりそうです。

 

 

 

新型コロナウイルスを巡りましては、

その生命と健康に与える打撃はもちろんとして、

SNSに溢れる情報も、

情報戦とやらは こうした分断を招くために役立つんだろうなぁ、

と唸らせるものがあります。

 

実際にどれほどの災厄が降りかかってくるのか、

あるいは降りかかっているのか、

真の姿は重苦しく立ち込める霧の向こう。

 

 

真摯に一つ一つ選択をしながら

生きていこう。

選挙もそう。

毎日の一瞬一瞬もそう。

自分を問われることは生きている限り変わりませんが、

戦時下にも似た時代では、

その問われ方も突き詰められるというか、

己から逃走することの許されぬ時代となったものです。

 

 

画像はお借りしました。

ありがとうございます。

 



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