3.11
震災かちょうど一年。
震災についてブログを書かれている方々が沢山いるみたいです。
それだけ、日本の人々の心にはまだ、震災の記憶が色濃く残っているって事。
私は仕事を終え トラックをしまおうと車庫に入る直前の出来事でした。
ラジオで地震を知らせるアナウンス。
最初、緊急非難速報のテストかなぁ、ぐらいに思ってた。
次の瞬間 グラグラとトラックが揺れた。
タイヤのナットが外れた!?と思ってトラックから下りてみた程。
波打つ駐車場。
事務所に戻ったら電気やパソコンがきれ、点呼も受けれなかった。
帰って家族の安否を確認するように、事務所の人に言われ、急いで保育園に預けている娘の元へ車をはしらせました。
信号は消え コンビニの電気も消えていた。
保育園に着いて緊迫感がましました。
外には雪が積もっている中、園児が逃げやすいようにと、玄関の戸は外されて、停電しているのでヒーターもついていない園内。
子供達を集め 寒くないようにと毛布をかけてくれてました。
3歳ぐらいまでの子は泣いてました。
皆、裸足で寒そうだった。
自分の子供だけ連れて帰るのに凄く罪悪感を感じました。
子供を受け取り 家に向かう途中、妻から電話で、コンビニで、食料を買えるだけ買ってて!
と言われ コンビニに向かいました。
時すでに遅し。
店内はパニック状態。
棚も空っぽに近かった。
とりあえず、火が無くても食べれる物で残ってる商品をとりました。
とにかく凄い光景でした。
夜は家族で二台の車で夜を過ごしました。
その後は、ガソリンをつめる為に夜通し給油待ちの大行列に並んだのが三回。
灯油を買いに県内を駆けずり回りました。
それでも被災地から比べたら天国でした。
車はあるし家もある。
何より、家族がみんな無事だったんですから。
私は若い頃、被災地の仙台に六年住んでました。
津波の被害が酷かった町にも、共に働いた仲間の家があります。
携帯なんか無かった時代だったから連絡先もわからないので、無事でいてくれる事を願うだけです。
亡くなられた方のご冥福をお祈りすると共に 一日も早い復興を願っております。
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