もう少ししたら実家での生活も終わりです
ここまでくるとなんだかあっとゆう間だったな…
早く日常に戻って旦那さんと一緒に暮らしたいと思っていたけど、実家を離れる寂しさも出てきました
両親が何かと手伝ってくれていたので、親のありがたみってこういうとき本当によくわかりますね
里帰り中は旦那さんに出生届を提出してもらい、保険証やら書類など、やらなきゃいけないことはお任せしました
ベビちゃんのお名前は・・・
旦那さんと一緒に考えて、妊娠後期には決定してました
ひさ君の名前からも取って、
私は『さとちゃん』
と呼んでいます
(旦那さんは「おさと」と呼ぶけど、なんか昭和っぽいですよね)
出産初日、病室で
「さとちゃんが無事に生まれてきてくれて、ひさ君のおかげだね。
お兄ちゃんになれたね。」
と、スマホの待ち受け画面のひさ君に報告。(心の中でですが)
涙が自然と溢れ、止まりませんでした
切なくって、寂しい。。。
お兄ちゃんになって、喜んでくれてるひさ君に逢いたい…。
さとちゃんの寝顔が、ひさ君が生まれた当時の寝顔とどことなく似ていて。
くしゃみをしたときも、
あくびをしたときも、
ひさ君と重なってしまう。。
ミルクを飲んでるさとちゃんを見て、ひさ君には何ヶ月もろくに飲ませてあげられなかったことを思い出して泣けてきました。
乳び胸のせいで絶飲食の毎日…
つねにお腹をすかしていたひさ君のことを思うと涙が止まらない。
さとちゃんの胸を見て、ひさ君の心臓手術のことを思い出してしまう。
初めて開胸手術を受ける前日は、あまりにも可哀想で涙が止まらなかったこと。
2回目の手術後はむくみが酷くてなかなか胸を閉じられず、開けっ放しだったこと。
度々行われる胸の洗浄も、
普通の点滴よりも太いカテーテルの刺し替えも…
弁形成など1日がかりとなった大手術のことなど。
タイムスリップしたかのようにぐるぐると記憶が駆け巡り、涙涙で
どれだけ痛かったろう、苦しかったろうと思うと胸が痛くて辛いです。
健康に産んであげられなかったせいで、ひさ君にはたくさんひどい目に合わせてしまった。。
毎日しんどい思いをさせてしまったから・・・
どれだけ謝っても足りなくて、申し訳なさでいっぱい。
自分を責めないでと言われたけど…
一生、つきまとうであろう罪悪感と後悔。
そして喪失感。
笑えるようになっても、こうして引き戻されて泣いてしまいます。。。
タイミング悪く、助産師さんが病室にやって来ると慌てて涙を拭っていました。
赤い目で鼻声な私を変に思ったろうか??
急に平然を装うのも大変ですね
それから、入院中のお話。
検診のとき、先生が記録したりデータを見たりする電子カルテ。
そこには
『第一子(長男)単心室。
術後感染症。
O医大にて生後5ヶ月に亡くなる。』
というような内容で、私が最初の検診で伝えていたことを簡単に書かれていました。
私でも書いてあることが目に入っていたのに、
病室に訪れる助産師さん。
「面会は○○さん(私の名前)のお子さんは大丈夫ですが、姪御さんやそれ以外のお子さんは小学生以上で〜」
とか、
「ご実家に帰られるなら上の子は?」
など聞いてくる人がいました。
あなたたち、電カル見てないの??
私が病棟に運ばれてきて、最初に関わった助産師さんにも
「上の子はどうしてるのか」
と聞かれたので、病気で亡くなったと伝えたんですけどね
引き継がれてないんでしょうか??
(大事なことだと思ってるのは私だけ?)
ちゃんと知ってくれてる人は、配慮があって声かけも違ってました。
(調乳や沐浴指導をどうするかなど)
ただでさえ、ひさ君のことで泣けるというのに…
無神経な声かけは嫌な気分にさせられました
情報ひとつで声かけも変わる。
悪気がないのは分かってますが、情報の共有は仕事をする上で必要なことと思ってますから
私みたいに世の中には子どもを亡くされた方もいるっていうのは頭の片隅に置いて接してほしいですね。。。
さとちゃんが産まれる前〜産まれてからまた、ひさ君にも
「こうしてあげたかったな」とか
してあげられなかったことを悔やんでは自分を責めて落ち込んでる。
泣いてはクヨクヨして…。
また、ひさ君に心配かけさせてしまうかな?
だけど、
ひさ君の姿は見えなくても、
ママやパパのそばにいてくれてるって信じてるから…
辛くて悲しい気持ちだけでなく
辛くて悲しい気持ちだけでなく
二人のママになれて幸せな気持ちでいるのは確か。
ひさ君も、さとちゃんもかけがえのない大事な存在です