私の実母 その1 | 34歳夫のくも膜下出血体験記~沈黙の不倫から11年~精神科入院中の夫と母子の歩む道

34歳夫のくも膜下出血体験記~沈黙の不倫から11年~精神科入院中の夫と母子の歩む道

2011年7月夫が突然くも膜下出血(グレード5)を発症。その後の不倫発覚…高次脳機能障害(精神科入院中)の夫とこの先どう歩んでいくのか。日々の揺れ動く心を描きたいと思います。娘21歳 息子15歳 妻(私)多発性神経鞘腫という持病持ち。これについても記したいと思います。


いつかは、私の母の事も ここに残しておきたいと思いつつ・・・

なかなか 文章がまとまらず・・・





私の母は 現在63歳。


療育手帳 所持者である。



農家を営む両親の長女として生まれた。4人兄弟。


母が生まれてすぐ 農家の仕事が忙しく 母の両親は


6畳一間に 布団を引き詰め お乳をあげる時だけ 赤ん坊の母を抱き上げたと言う。



一番かまって欲しい時期に、一日の大半が一人だったと思われる。



そして、3歳になったとき


言葉を話さない 歩かない 次女より出来ない事が多い・・・


「何かおかしい・・・」と悟るものの

昔の事だから 何も出来ずに成長していった。


長女をこんな目に合わせてまで、農家をすること無いと決断し、今の地域に引っ越したと言う。



しかし、時すでに遅し・・・



小学生になり



友達と関われない

勉強がついていけない

運動が出来ない



出来ない事だらけ だったという。




当時は 今のように発達障碍とか特殊学級とか無かっただろうし

たぶん、からかわれたり 苛められたり いつも一人だったりしたのかもしれない・・・と思うと 心が痛む。




家庭の中では、次女が長女である母に 勉強や料理を教える毎日だったらしい。



母の母(祖母)は、そんな出来の悪い長女に 辛く当たっていた。



今はもう他界している祖母だが・・・



心配のあまり、手も口もよく出し 萎縮している母の光景を私はよく目にしていた。





母は社会人になり働くが どうしてもうまくいかず 転々とする。




結局 裏方の仕事をすることで 落ち着いた。




母の父(祖父)は、長女である母をとても心配し



自分達に何かあっても 誰かと結婚し支えあう事で 自分達の負担を減らしたかったのか・・・



お見合いをした。



その相手は 私の父となる・・・





私は 父をあまり知らない。




知ってることといえば アル中であったこと。



よく暴れていた。

血の出る夫婦喧嘩をしていた。



そして、私は隅っこで 泣いていた。



今 思えば 父も何かしらの精神的な病気を抱えていたのかもしれない。



母の両親は、似たようなタイプのお見合い相手を 見つけてきた・・・と聞いたことがある。




もう 他界しているので 結局分らないままだった。




つづく