私の実母 その4 | 34歳夫のくも膜下出血体験記~沈黙の不倫から11年~精神科入院中の夫と母子の歩む道

34歳夫のくも膜下出血体験記~沈黙の不倫から11年~精神科入院中の夫と母子の歩む道

2011年7月夫が突然くも膜下出血(グレード5)を発症。その後の不倫発覚…高次脳機能障害(精神科入院中)の夫とこの先どう歩んでいくのか。日々の揺れ動く心を描きたいと思います。娘21歳 息子15歳 妻(私)多発性神経鞘腫という持病持ち。これについても記したいと思います。


診断の結果は 「精神遅滞」



これは、子供に下される診断だが、恐らく 幼少の頃からそうだったのではないか・・・となった。


今でこそ、発達障碍とか アスペルがーとか 聞きなれた言葉ではあるが、昔はそうではなかった。



私個人の見解だが、それに加え ADHD でもあるのだと思う。




そして、検査の結果



田中ビネー知能検査 IQ37

知的障碍 中度



療育手帳の申請に向け いくつかの検査が追加される。



面接官の所見では


「うつむき加減で、あまりこちらを見ない。会話はある程度成立し 関係は取れるが、出身地を聞くと、忘れた・・と答える」


「小学校程度の漢字交じり文は 所どころ読めるが 見えないといって読み上げない」



恐らく



「出身地」の意味が分らないから「忘れた」と答える。


漢字も読めないから、「見えない」と答えたと 推測する。




IQだけで見ると、基底年齢は 6歳から7歳だという。






バウムテスト というものがあるらしい。



確か、木の絵を描くものだったと思う。



母は 末広がりの幹に、比較的小さい冠部を書いたようだ。


至って簡素な描写であり、精神発達の遅滞を示唆する特徴も見られる。


と、書いてあった。




よって、療育手帳「B」 と判定された。





私は 今まで母の存在が恥ずかしかった。


誰にも合わせたくなかった。


自分の母を「変な人」と思われたくなかった。




でも、こういう事だったんだ・・・と 何となく 肩の荷が下りた。



もっと早く こうしていれば、母はもっと楽に生きて行けたかも知れないのに・・・



判定が下された瞬間から



こういう事なんだから・・・仕方ない。

出来ないものは 出来ない。

そう 思えるようになった。



尊敬するようにもなった。



そのような状態で、よく 私を育てた・・・と。






これで、ひとまず障碍年金で生活できるようになった。





母の兄弟は 「自分の母を障がい者にして・・・」と言っていた。


そんな差別的な意見で 私は激怒し大喧嘩した。




世間体ばかり気にする親戚は 嫌いだ。



「心配だ・・・」とばかり言ってはいたが、

何も分らない母だからって、適当にあしらっていたではないか。



人よりちょっと出来ない事が多い母の子育てを協力した事があっただろうか・・・


私は 親戚に助けてもらった記憶がない。

手をかけてもらった記憶がない。




親に負担をかけないことが 親孝行だと思って頼らなかった。

金銭的にも 精神的にも。




お金の使い方が下手で、年金が入ったら、とにかく全部財布の中に入れてしまう母。




私が管理する事にした。


しかし、また親戚に非難される。


「社会人になったら お母さんを置いてすぐに家を出て、今まで何もしなかったのに、お金だけ管理するなんて・・・」


と・・・。



私は・・・



母に心配かけないように、負担をかけないように 頼らずひたすら頑張ってきたんだ。



親に子供を預けて 出かける・・・とか

実家に泊まりに行って 羽を伸ばす・・・とか



世間一般的にいう、「親に甘える事」が出来なかった。



実家でご飯を食べる・・・なんて 皆無。




母の兄弟は 母の生い立ちしか見ておらず 私の生い立ちを見ていない。



だから 親戚は嫌いだ。







母はずっと、お風呂も無い 湯沸かし器もない 隙間風がビュービュー吹く 家に住んでいた。



それは 親戚が用意した家。

そこに私も社会人になるまで住んでいた。



母にしたら、それが産まれてから普通の環境で 不便も感じなかっただろうが、私にしたら 一人暮らしをした瞬間から お湯の出ない生活なんて 考えられない。




半年前の6月に、私達家族が住む家の近くに 引っ越した。



小さい部屋が二つのアパート。



今までは一応一軒家だったが、物を溜め込み 片付けられないし

全てのものを 一掃したく 踏み切った。



これからの人生 快適な生活を提供したかった。




脊髄腫瘍の痛みがマックスで辛かったが、私と母二人だけで大変な引越し作業も無事に終わり、一段落した。



63歳にして、初めてのお風呂付、湯沸しき付き。



母は喜んでいた。



そして、掃除も頑張っていた。

でも どうしても雑なので、私の娘が手伝ったりもしていた。



娘も一人で ばあちゃんに会いに行ける距離。



ご飯も冷めず 届けに行ける距離。



これからは、少し 楽させてあげられる・・・




そう思ってたのに・・・




引越し終了した4日後 旦那が倒れた。