前回の内容とはちがって
一歩進んだ会話も聞けた
それは
なぜこちらから聞いてもいないのに
話してくれたかって事
正直こうやって
皆さんに話ができるまで
時間が掛かり
気持ちの整理
今何が起こっているのか
落ち着いて
考えるまで
つい最近まで掛かりました
ただ
私たちにできる事
それは
こうやって
話して伝える事
いつも孫にね
こうやって
ボランティアの方々がやってきて
わたしたちにしてくれたこと
ちゃんと覚えていてね
おじいちゃんや
おばあちゃんは
復興して
恩返しをしたいと思っても
もう生きていないかもしれない
だから
忘れないで
あなたに子供ができたら
話してあげなさい
そして
困ってる人がいたら
助けてあげなさい
ってね。
自分達は
恩返しなんか望んじゃない
しかも
現地に行って
逆に迷惑かけてる
特に俺は・・・
だけど
現地の方たちが
そう思える様になっただけでも
気持ちの上で
大きく一歩前進してるんじゃないかな
そう思いたいし、
信じたい。
地震や津波で
多くを失って
0になったと俺は思ってた
けど
今回皆さんと話して思った
本当は0でもマイナスにもなってない
ついさっきまで居た町が
突然消えたり
大事な物が消えたり
大事な命が消えたり
それでもそこには
失ったものに対しての
大切な思いがある
だからプラスで残ってたんだ
今はそのプラスを
話してくれた方が言ってたみたいに
気持ちの整理
今何が起こっているのか
落ち着いて
考える
そのうえで
まず0に戻す
プラスであるものを
0にするって
ある意味
マイナスから
0にするより
苦しいんじゃないかな。
それでも
皆さん声を合わせたかのように
「当たり前を取り戻したい」
って言う
当たり前の中に
俺は居る訳で
その当たり前ってのが解らない
失って気づく当たり前
前向きな言葉にも感じるが
切ない
けど
皆
一緒に
泣いて・笑って・騒いで
これもきっと当たり前
その当たり前を
また来年。
南三陸で買ってきた
ビールを
今年の旅の締めくくりに
開けました
皆
頂きま~す。
最後に
ワケの解らない文面に付き合ってくれた
皆さんありがとうございます
きっと
本当の復興はまだまだ時間が掛かるし
これからだと思います。
最後に行った志津川で
メンバーと離れ
カメラ片手に
一人町を歩いている時
現地のがれき撤去作業を
されてる方や
その
関係者の方から
あからさまに
舌打ちをされ
睨まれたり
「この野次馬が!」
みたいな言葉も言われたり
ま方言でいまいち解らなかったんだけど
表情が笑ってなかったので
きっとそんな感じ
スミマセンとしか言えなかったんだけど
正直これが現実だとも思った
人口の数が多い少ないとか
産業が有る無いとか
そういった復興の格差がある様に
現地の方々の心身にも差がある
それを知れただけでも善かった。
とにかくまた来年だ!!