平成23年1月にいただいた賞。


大好きだった祖母の思い出。




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大切にされることの「実感」





十三年前、僕の娘が生まれた年に、

おばあちゃんは亡くなった。


「エチオピア屋」のみたらし団子が、僕の好物だからと、

買い物帰りにはわざわざ遠回りをして買ってきてくれた。

今もみたらし団子を見ると、おばあちゃんを思い出すよ。


子供の頃一番つらかったのは、両親が喧嘩をすることだった。

どうすればいいかわからなくて、自分の無力がただ痛くて苦しかった。

そんな時、

「子供のことを考えろ」と、

おばあちゃんはいつも僕のことを一番に思ってくれたね。

「そんなんだら、りゅういぢはおれが育てる」と言って、

しっかり抱きしめてくれた。


ひらがなを覚えた時も、カタカナを覚えた時も

「えらいねぇ。よくがんばって。りゅういぢは頭がええねぇ」

といつもいつも、何度も繰り返し褒めてくれた。


絵を描けば、どんな絵だって

「うめーねぇー。おれにくれるか」と、

大事にしてくれた。


父の転勤で遠くなってしまってからも、

年に何度も遊びに来てくれて、

そのたびに「りゅういぢがいちばん可愛い孫だから来るんだ」

と言ってくれた。


おばあちゃんに、大切に思ってもらえていることが、

その「実感」がずっと僕の力だった。

 思い出すと「してくれた」ことばかりだよ。

僕がおばあちゃんにしてあげたことなんて何もなかった。


おばあちゃんのお葬式に集まった従兄弟たちと、

通夜の晩を飲み明かした。


僕は、就職してからの何年分もの失敗話や自慢話を、

間断なく訴えるように話し続けた。

普段口数の少ない僕の話を、従兄弟たちは頷きながら聞いてくれた。

だからきっと、おばあちゃんにも聞こえたよね。


 僕は今、妻と三人の子供たちと、両親と一緒に暮らしている。

 おばあちゃんが僕にしてくれたように、

 まっすぐに思いを伝えることは、とても難しい。

 

 でも、おばあちゃんに教えてもらった、

 家族を大切に思う気持ちは、ずっと覚えているよ。


 それはずっとずっと、僕の心の中にデンとしている、
 おばあちゃんが「くれた」形見なんだと思うんだ。