希望も持ってた頃 | 月のベンチ

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両親の闘病記

母が手術の失敗で意識障害になったとき、ネットで何日も徹夜して意識回復の方法を検索した。
まだ希望を持っていた‥というより、そのうち意識回復するはず、と思っていた。
出来ることは(全部ではない。オペのように大掛かりなものは一回だけ)
夏の終わりに倒れ、きっと病院のあの銀杏並木を歩いて、あるいは車椅子ででも、一緒に帰宅できると思っていた。
それは本当に、今となっては甘い甘い考えだったが。
意識を回復すると言う薬の投与もやってみた。
音楽療法、味覚、嗅覚、いろいろな刺激も試した。
家族会に入り、リハビリやケアの仕方の勉強会にも参加した。

その結果。
努力をすれば報われる‥そういう場合もあるだろう。
でも、そうでない場合もあるということを、この六年の間に嫌というほど思い知らされた。


二度、母の気管切開を閉じようと試みたが、二度ともだめだった。
努力が、足りなかったのだろうか?
母は命を落としかけたのに?

これ以上の努力は、かえって母を苦しめるだけに思える。


あとは静かに暮らさせてやりたい。