普段、新聞を見ても番組欄とスポーツ欄くらいしかみないのですが


今日は、ふとした一面に目がとまりました。


新成人に向けてとメッセージされた乙武洋匡さんの記事でした。


「子どもたちと向き合う中で、「どんな大人になってほしいか」を常に考えている。特に意識するのは二つの”大人像”。一つは「自分なりに答えを出せる大人」で、これが意外と難しい。

 五分の休み時間にいつも「先生、トイレに行っていい?」と聞く子がいる。別の子は、板書を移すノートを広げる度に「新しいページに書く方がいい?」

 「今のうちに行きなさい」「新しいページだと見やすいね」と言うのは簡単。だが僕は「自分で考えなさい」と突き放す。いつまでも人から答えを与えられていたのでは、「指示待ち族」に育ってしまうと思うからだ。

 仕方ない面もある。勉強とは「記憶すること」と信じてきた子供は多い。試験は「暗記したことを書き写す場」で、自分の判断が問われた経験も少ない。だからこそ僕の授業では、なるべく自分で考えさせたい。

 もう一つの理想像は「挑戦し続ける大人」だ。クラスで「次はこれをやるよ」と示すと、すぐに「ええっ無理!」と声が上がる。そのたびに「もったいない」と感じる。

 幼いころから、僕は何でもやりたがった。生まれつき手足がなく、できないことが多いはずなのに、中学ではバスケットボール部に入り、大学時代にはスキューバダイビングの免許を取得。車の運転もできるようになった。困難はつきものだったが、工夫を重ね、サポートを得て乗り越えた。

 できなかったことができた達成感は、何物にも替え難い。その素晴らしさを知ろうとしない子どもは、もどかしい。できるようにならなくたって実はいい。「絶対にやってやる!」という気持ちの強さが大切だと思う。

 挑戦すれば、失敗もする。どんどんしたらいい。失敗を恐れないでほしい。試行錯誤し、立ち向かった末の失敗には、大きな学びが詰まっているはずだ。勉強だって恋愛だって仕事だって、人生は「トライ&エラー」の連続。失敗があるからこそ、僕らは成長できる。

…以下省略」


正直、以前から考えていたこととこの記事がリンクして

目にとまった


今年の新人の話はしていないのですが、実は去年よりも結構厳しいんじゃないかって思うことがある。

心の中で「事なかれ主義」なタイプだなと感じている。


今まで、自分で答えを出す前に「こうしたら?」と助言があったり、

「こうかな…」と意見はあっても、自分なりの答えを主張せずに正解を待ったり


ただ、あまりに同じことを聞きすぎる


私も、つい聞いてしまう「どうしたらいいと思う?」そのまま返す、質問をそのまま

別に100%の答えは期待していない

ただ、自分の答えがどれくらいあるのかが知りたい


でも、学生のくせが抜けないんだか

100%を答えなきゃいけないと思っているのがもったいない。


もちろん人の命を預かる仕事だから

間違えては大変なことになるし


なんてことを考えてしまった