【東方神起】CELEBRITY ① | 東方神起応援団 we are T !! Japan

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http://www.vogue.co.jp/celebrity/conversations/2015-04-08/page/3#moveto

「ユンホをキャスティングして本当に良かった」。いよいよ日本で公開の話題作『国際市場で逢いましょう』のユン・ジェギュン監督がインタビューで語った。



2015.04.08
俳優としても活躍する東方神起のユンホが出演している映画『国際市場で逢いましょう』が、いよいよ5月16日(土) から日本でも公開!先日来日したユン・ジェギュン監督がインタビューに応じてくれた。

主演女優は『VOGUE JAPAN』にも登場したことがあるキム・ユンジン。米人気ドラマ『LOST』にも出演していた。 (c)2014 CJ E&M Corporation, All Rights Reserved.

「空港に1000人ぐらい人が集まって、出られない」ということも!

ユン・ジェギュン: 撮影はタイのかなり郊外に出たところで行いました。普段は閑散としている人気のないコンドミニアムに宿泊しました。

確かその時ユンホさんは日本にいて、日本からタイに来たと思います。ユンホさんを空港に迎えに行ったプロデューサーから、「監督、大変なことになっています」と電話があったんです。「空港に1000人くらい人が集まっていて、空港から出ることができません」と。どうしてそんなことが起きるんだ?  と訪ねたら、「ファンには情報員のような人がいて、タイ韓国中国日本のファンで空港は一杯です」と。実際、空港を出発するまでに何時間もかかりました。

ようやく空港を出発し、撮影現場に向かっていたのですが、また電話がかかってきて、「50台くらいファンのクルマがついてきます、怖くてこのまま撮影現場 には行けません」と(笑)。なんとかその状況は切り抜たのですが、毎日100人くらいのファンが撮影現場に来ていて、ユンホさんの姿がちょっとでも見える と、"キャー"(笑)。

宿泊先のコンドミニアムには一週間ほど滞在しました。僕の部屋は監督ということもあって、少し広めの部屋を準備してもらっていたのですが、部屋の両サイド にファンの方たちが団体で宿泊していたんです(笑)。両サイドから夜な夜な東方神起の歌を歌い、ダンスをする声で、私はなかなか眠れませんでした(笑)。

撮影が終わると、食事のためにレストランに向かいますが、そこにもファンの方がついてきます。主人公のドクスを演じたファン・ジョンミンさん、友人役の オ・ダルスさん、私、そしてユンホさんと一緒に行くのですが、私たち3人は、ユンホさんを警護するのに必死です(笑)。ファンの方にとっては、私たちはただのおじさんに過ぎなかったようです(笑)。


http://www.vogue.co.jp/celebrity/conversations/2015-04-08/page/4#moveto

俳優としても活躍する東方神起のユンホが出演している映画『国際市場で逢いましょう』が、いよいよ5月16日(土) から日本でも公開!先日来日したユン・ジェギュン監督がインタビューに応じてくれた。

「亡き父に、映画を作って感謝を伝えたかった」。

ーー主人公ドクスは、父親から受け継いだ長男の使命を生き切ります。その使命とは、ひたすら「家族を守る」ということでした。『国際市場で逢いましょう』を見終わった時にまず感じたのは、両親への感謝と会いたいという思い……。実際に主人公のドクスと妻のヨンジャは、ユン・ジェギュン監督の父と母がモデルになっていると聞きました。

ユン・ジェギュン: 父は私が大学2年生の時に亡くなりました。父は一生涯、家族のために働き、サラリーマンとして定年を迎えたのですが、退職金を元手にし た株式投資に失敗し、家族に残す財産を無くしてしまったのです。癌を患い、最後に息を引き取るときにこう言いました。「何も残してやることができなくて申 し訳ない」と。

当時の私は諸事情をわかってはいました。誰にも失敗はありますし、父が株式に投資をしたのは、自分のためではなく、まとまった財産を家族のために作りたい という思いでした。父は生きている間も、自分のためにどこかに旅行に行ったり、服を買ったりする姿を一度も私は見たことがありません。

生涯を家族のために 尽くしてくれた父に対して、私は最後まで「ありがとうございます、お疲れさまでした」といった言葉をかけてあげることができなかったんです。当時は私 もまだ大学2年生でしたから、こんなに早く亡くなってしまって、これからお金もかかるのにどうしようと、ある意味、恨めしい気持ちを持っていました。

けれども、2004年に子どもが生まれ、私自身が父親になった時に、亡き父のことを思い出しました。とても申し訳なかった、と。なぜ父にありがとうという言葉をかけられなかったのか、と。

いつか必ず父にありがとうという気持ちを伝える映画を作りたいと思ったんです。幸いなことに、前作の『TSUNAMI-ツナミ-』が興行的にも成功しましたので、やっとその思いを形にすることができました。