今日は目の前が
真っ白になるくらいの
雨の午前中でした
 
そんな時には
読書も良いですけれど
自分に向き合うには
持って来いの日ですよね
 
外が見えない分
内に集中できる
 
 
私は
 
落ち込む人を見たく無いばかりに
絶望の人を見たく無いばかりに
 
誰かの言葉に傷付いた人に敏感で
 
明るくふるまい
場の空気を察し
ざっくばらんに話し合えるよう
身を粉にしてしまう
 
そんな癖が あります
 
自覚症状有りの
 
“気遣いの人” 淑子です

{3881BF1E-9763-41FA-AB2C-C70DE38CAD6E}


 
 
 
そう
本来の私は
ワガママ気まま
お姫様気取りで
たーだソコでドーンと
太陽の如く居たい人


{017E249D-E4B8-41B3-993F-2A094759AC79}

 
実は
高校受験を控えた中学3年生の頃
父が鬱病で1年間自宅療養しておりました
 
もちろん
家の中は
暗い雰囲気に
 
でも
暗い家庭=
それがいけない事だと思っていた私は
 
本来 反抗期を過ごす時期に
 
家族を明るくし
暗いどんよりした雰囲気から守る為に
面白いコトを言ったりやったり
家族が思わずクスッと笑って
心地よくなるようなコトを
先読みして行動し過ごしました
 
 
人に好かれたくて身に付けた
処世術では残念ながらありません
 
 
人に 自然と好かれてしまうのは
よく 自分自身で知っていました
 
人に好かれたくて
身に付けた処世術ならば
こんなに根深くないのかな
 
いやいや… 親に好かれたくて…
だったら
かなり厄介で更に根深いものかも知れませんね
 
 
 
私が 明るくおちゃらけてしまう理由
 
それは
 
自分にとっては悲しい可哀想な理由です
 
 
 
それを認めたくなくて
知らんぷり 
していました
 
 
 
向き合いたくない事でした
 
 
 
私の家族は
笑いの絶えない明るく楽しい家族だった…
思っていたかったから
 
現に 父が鬱病で苦しむ前は
私の家族は
笑いの絶えない明るく楽しい家族だったから
 
父は 海外出張に次ぐ海外出張
日本にいても残業続き
夜は飲みに行き午前様の帰宅
休日はゴルフ
 
元気であった時も
家には居ることは少なかった
運動会を見に来てくれたことも
1回くらい?
それでも
家庭は明るかったのです
 
 
 
そんな明るい時の家族の記憶が
父が海外出張の度にお土産で
買ってきてくれていた石なんですね
…私の石好きのルーツ…
 
 
 
長年 鬱に苦しむ父を
 
(その後 父は定年と私の結婚を期に
…鬱病再発
前回とは比べものにならない位の重症
入院も余儀なくされたので
私の結婚式には参列できず)
 
母は微笑みを絶やさずに
支えていました
 
時には イライラ怒る事もありましたが
 
母は決して泣き言は言わず
ましてや
涙など見せませんでした
 
泣くのを我慢し過ぎて
もう泣けなくなっていたのでしょう
 
父が亡くなった時も
涙を見せなかった
 
陰で泣いていると思っておりましたが
本人曰く
涙が出ないのだと…
 
そう 
私は母が泣いた顔を
母が死んだ今に至っても
 
 
実は
一度も見た事がないのです
 
 
子どもの頃は
お母さんというものは
笑ってるか怒ってるかしかしなくて
泣かないものなのだと
本気で思っていたくらいです
 
 
私はお陰様で
泣き虫で、
弟はもっともっと
泣き虫ですが
 
 
母が泣けなかったように
 
私は
人を笑わせずにいられない
人を安心させてあげずにはいられない
実に…傲慢ですけどね
 
 
でも それが不自然である事を
気付かせてくれた人達がいて
 
それを言われて
カチンとくる私がいたことで
 
今回は
向き合うことが
出来ました…
 
②に続く