今回は、映画「グッド・ウィル・ハンティング」から。



【作品の概要】
 この作品は、1997年にアメリカで公開された映画で、天才的な頭脳を持ちながら幼い頃に負ったトラウマから逃れられずにいる一人の青年と、最愛の妻に先立たれ失意のそこで喘ぐ心理学者との心の交流を描いたヒューマドラマです。

【あらすじ】
 ウィル・ハンティング(マット・デイモン)は、MIT(=マサチューセッツ工科大学)で清掃員のバイトをしている青年である。親友のチャッキー(ベン・アフレック)、モーガン(キャセイ・アフレック)、ビリーらと一緒につるんで、たびたび警察沙汰を起こしたりとタチが悪いが、彼は特に数学分野に異様な才能を見せる天才であった。
ある日、ウィルは、清掃の傍ら、人目を盗んでMITの掲示板に掲げられた難解な数学の証明問題を解く。この問題の出題者のランボー教授(ステラン・スカルゲールド)は、問題を解いたのが清掃員のウィルであると知り、傷害事件で拘置されていた彼を訪ねてその身柄をあずかることにする。ただ、裁判所が保釈の条件として出したのは、週2回、彼と共に研究室で勉強し、さらに週1回心理療法を受けるというものであった。ウィルは保釈を得るために、この条件を飲んでランボーの下で新たな日々を送り始めるのだが…。


20年前の映画なんですね。古い映画ですが、名作といわれている作品なので観た事ある人も多いかもしれません。


天才青年ウィルは、好きな女性とデートをします。

しかし、次のデートに誘えない。

次に、もし自分のダメな部分を知られて嫌われたらと、恐れているんです。

そこで、カウンセリングしてくれているショーン先生(ロビン・ウィリアムズ)が、亡くなった妻のエピソードを話してくれます。

妻は緊張するとオナラする癖があった。

「僕だけが知っている癖、それが愛おしかった。僕の癖も彼女は皆知っていた。

癖を欠点と考える人間もいるが、とんでもない。

愛していれば恥ずかしさなど吹っ飛ぶ。

君だって完璧から程遠い。彼女だって完璧じゃない。」




誰だって完璧じゃない。

ダメな部分も受け入れる。自己受容。

好きな人でも完璧じゃない。

これから知っていけば、ダメな部分も色々見えてくるでしょうね。

完璧な人間はいないから、それは当たり前のこと。

欠点やダメな部分をどう見るか?どう受け入れるか?


例えば、どんな美人でもコンプレックスはあるものなんですよね。

美人の芸能人が「コンプレックスあるんです」って言うと、みんなが「うそだー」とか言う場面も観たことあります。


アドラー心理学では、コンプレックスも対人関係の悩みだといいます。

例えば、容姿のコンプレックスは、他人との比較があるからこそ出てくる悩みになる。

対、人の悩み。


あなたが劣っているから劣等感があるのではない。

どんなに優秀に見える人にも劣等感は存在する。

アルフレッド・アドラー





劣等感は主観的なものです。

主観ということは、見方の問題であって、見方は変えられるということです。


例えば、「背が低い」これは「劣等性」であって、これだけでは「劣等感」ではない。

背が低いことをかっこ悪いとか見方をすると「劣等感」になる。


劣等感を抱くこと自体は不健全ではない。

劣等感をど扱うかが問われているのだ。

アルフレッド・アドラー