次男のかかとの痛み、シーバー病に長く悩んできました。

五年生の春に発病し、それから一年間、接骨院、鍼、また接骨院と巡り歩き、最終的にたどり着いたのが、山田先生の整体院でした。


山田先生は、体全体から不調の元を探ってくださり、二回の施術でほぼ痛みを取ってくださいました。

ゴッドハンド、というかなんというか・・

その整体院はコチラ。

過去にも山田先生のことを記事にしましたが、患部だけでなく体の内側から的確に痛みの元を取る感じです。


体はぜーんぶ繋がっていて、足が原因ではないわけです。
 
次男の場合は、糖分の取りすぎ、体の水不足が主な原因です。もちろん激しい稽古が原因ではあるけども、アスリートは体に負荷をかけるのが当たり前であり、その負荷を日々解消できるよう体調を整えることが大切なのです。

そして、二回目の施術のあと、痛みが無かったのにまた痛みが再発してきたので、もう一度先生のとこに行きました。


すると、今度は、頭蓋骨のほうに先生の手が動きました。

痛みの原因が記憶にある、と先生は探り当てられ、

九才ぐらいのとき、何か辛いことがあった?

とか、

十二才でも何かあったよね?

とか、

次男に聞いてくれます。


その都度、次男は記憶をたどり、しまいこまれたトラウマのようなものを解放していきました。

心と体は繋がっています。

物理的なものだけが痛みの原因ではないわけです。


こういうアプローチをしてくださる整体院は、おそらく他にはないのでは?

前に山田先生のことを記事にして、少し気になったのが、

こんな赤裸々に公開して、企業秘密をバラして良いのだろうか?

的に思い、またブログに書いていいでしょうか?とお訊ねしたところ、


何でも書いてかまいません

とのことでした。


公開したところで、他の人には絶対に真似ができない、という先生の自信がほの見えました。

そりゃ、真似はできんでしょう。

これはわたしの推測ですが、

先生の手は、患者の体の表面を滑らせることで、

「ここの気の流れや機能が乱れている」

てことが感じとれる探査機みたいな機能がつい
てるのでは、と思う。



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シーバー病の痛みを除くのに、鎖骨の窪み付近に手が止まってそこをグリグリ押したり、背中の肩甲骨のあたりをグリグリ押したりすると痛みが取れる、とか、普通は想像できない。


ツボの本にもそんなことは載ってないし、東洋系医学でもない。これはたぶん、次男の体の乱れを先生の手が感知してる次男だけのツボであり、他の子に同じようにしても痛みは取れないのではないか、と思う。

今回は、記憶を少し解放して、また元のように痛みが取れていました。

でも、記憶というのはなかなか厄介らしく、どうもすっきりしない。

たぶん、わたしの記憶とかもこどもの心に入り込んでいるから、こどもだけ癒しても難しいのだと思った。

あるいは、どこかの誰かの記憶が素直なこどもの心に潜り込んでいるのかも知れないし。

少し乱暴だが、痛み止めシップを試すと、痛みは無くなる。

でもこれ、未成年には禁じられてるから、おすすめできません。痛みが取れるのはいいけど、何日も連続でシップで無理矢理痛みを取るのは怖い。


どーしたものか、と悩んだ。


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ここからは、受け入れられない人は受け入れられないだろうし、ただの思い込みと思う人も、いると思う。

でも

事実なので、勇気を持って書きます。


ここに越してきて、半年間、一度も神社にお参りしていなかった。

普段から目に見えないものに敏感で、音を聞いたり声を聞いたりするくせに、自分より高次の存在にすがる、という謙虚さが、ずうっと失われていたことに気づいた。

近くに神社はないか、と探し、次男と一緒に学校の近くに神社を見つけました。




そこでお参りして、一心に、


どうか次男の足の痛みを取ってください

とお願いしました。

毎日通いました。

わたしのできることはすべてやりました、機能的な問題は水を飲んだり体操もして改善されてるはずで、記憶や精神的な問題かも、とも言われてたし。

確かに「シーバー病」という病名はあるけども、それはどこに行ってもそう診断されたけども、

かかとの骨が成長するのを待つしかない

と言われるだけなのが辛い。

ゴッドハンドの山田先生も、頭蓋に手を当てて首を傾げておられたし。


こんなに真剣に神様にお願いしたことは、かつてありませんでした。

自分の受験や子宝祈願もお願いしたことがあるけど、「大切なのは努力」てことを知っていたから、神頼みは良くないかも、と心のどこかで願いに迷いがあったし、ね。


でも今回は、丸裸の赤ちゃんのような気持ちで、

「どうかお願いいたします。痛みが無くなり思いきり剣道できますように」

とお願いしました。


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それからも稽古続けて、稽古終わるたびに、痛い?と聞くのですが、少し痛い、て返事から、次第に痛くない、と返事することが多くなりました。

最初は、痛み止めシップもしてないし、体を緩める体操も合宿のゴタゴタで全然できてないし、痛みが無くなる要素もないのに、と


?不思議だなあ~なんで痛くないんだろ

と考えてました。

特にここ一週間ほどは、合宿で立て続けに起きる事件で夜も眠れないことが続き、正直次男の痛みを気にする余裕は無かったです。


そこで、あっと気づいたのが、

神様にお願いしたことでした。

神様が丸裸の謙虚な気持ちで願ったことを受け止め、叶えてくださったのではないか、と。

そもそも、人間一人ができることには限りがある。

自分一人で生きているのではなくて、いろんな人の支えや、目に見えない力に生かされているわけです。

目に見えないものの力の表れが神社の神様だったり、ご先祖様の願いだったりするわけです。

自分が無力で無知で、どうしようもないとき、まっさらな気持ちで神様にお願いしたのが、良かったのかなあ、と感じました。

そして、それからしばらくして、


目が回るほど忙しい仕事中にふいに、

問題は解決した

と何の根拠も無く確信しました。

そんな気持ちが、斜め上の空間から頭の中に落ちてきた、て感じです。


そのとき、わたしは物心ついて初めて、

自分以外のものに頼ってすがってもいいんだ

喜んで助けてくれる存在もあるんだ

と思いました。

そう思った瞬間、

肩がすうっと軽くなり、「心からの感謝」というものが、自然と沸き出てきて、一人でこっそり涙してしまいました。