某有名な戦国武将の菩提寺の境内には、私が3歳から通った保育園があった。

 

広い境内の端に位置する園の門前には池があり、鯉が沢山泳いでいた。

 

今でこそ、大河ドラマで何度か取り上げられたお蔭で観光客も多く訪れるが、当時は閑散として鄙びた古寺の風情を醸し出し、参道も整備されてなく池にも柵など設けられてはいなかった。

 

毎日その池の端を通って通園していたからか、園児の私は、ある事を真剣に思っていた。

 

それは、「修業をすれば水の上を歩ける」 と言う事だ。

 

練習して自転車に乗れるようになるのと同じく、皆、大人になるまでに修業をして水の上を歩けるものだと信じていた。

 

敢えて歩かないのは、いくら修業したからと言っても、かなり気合を入れる必要があるので余程の事がない限り水上は通らず、楽に歩ける陸上を選択しているのだと思っていた。

 

ある日、目の前の池の畔に立ち靴の先で水面をちょんちょんと突いてみた。

つま先から波紋が広がって行く。

 

「あーダメだ。やっぱり修業しないと無理なんだ。」と思った私。

しかし、これで水の上は歩けないと悟るようなおりこうさんじゃありません。

 

家には庭の端に3畳程の大きさの池があり、そこで修業をしようと思いついたのだった。

 

その日はとても天気の良い日だった。

庭の薄黄色い土が乾燥して埃っぽくなっているのを鮮明に記憶している。

 

池から一番遠い庭の端から助走をつけて、池に向かって飛び込んだ。

1回目 見事に失敗。

 

これを3回繰り返した。

 

1度や2度の失敗で引き下がるものか。だからこそ修業なのだ。

修業とは辛いものなのだ。

 

と、思ったかどうかはもう忘れてしまったが、その時の事を母は覚えていて大分大きくなってから聞かされた。

 

縁側で洗濯物を畳んでいた母は、私が口を一文字にキュッと結んで今まで見た事も無いような真剣な顔つきで池に向かって走ったかと思うと勢いよく飛び込んだ。

ずぶ濡れになった私を着替えさせると、再び庭の端に立ち~を繰り返したと。

 

母が洗濯したての服を着替えさせてくれたのは、おぼろげに覚えているが叱られた記憶はなく、寧ろ優しく微笑んでいたように記憶している。(実際、娘の奇行に大ウケだったかも知れない。)

 

最後に着替えさせた時、なぜ池に飛び込むのか聞いたが、私は泣き出してしまい何も言わなかったようで不思議に思っていたそうだ。

 

当の私は、実験の結果「やはり水の上は歩けない」と言う事実を知ると同時に、人生初の挫折を味わい落胆しきりだったのだ。