NO.3 父と因縁 | 見えない世界の真実が此処に®

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霊能力を生業としている方や、一般の方、霊媒体質の方のためのブログです。

小学校に上がった頃から
家族の関係も不穏になっていきました。
元からおかしいところはありましたが、更に悪くなっていきました。

母親は常に怒っていました。
原因はいつも父親に対してか、祖母に対して怒っていました。
子育てしない父。
家事から何から家のことを母に全部押し付ける祖母。
お互い手助けするという気持ちがないことに母はがっくりとしていました。
助け合いを説いている本人がこれでは…何を考えているのやらとぼやくこともありました。
兄弟達も同様の思いでした。

忙しく働く母と
無口で家族に何もしてくれない父。
どちらが正しいのか子どもにはわかりませんでしたが
働く母親の言うことに従っていました。
父に対して愚痴をこぼすことが多い母親に、兄弟達は同調していきました。
そして兄弟は父を徐々に遠ざけるようになっていきました。
そもそも父の方から家族と距離を取っていましたから
しょうがないことでした。

ある日、父にテレビを買って欲しいと頼みました。
「わかった。大きいのを買ってあげるから」と快く返事をしてくれました。
心ウキウキで期待をして、テレビが来るのを楽しみに待っていました。
でも、待てど暮らせど一向に買う気配のない父に痺れを切らしました。
もう一度尋ねてみると
「ごめんやけど、買わへんよ。そんな金あらへんわ。」
と一転して冷たい答えが返ってきました。
子ども心にショックを受け、父親に対する不信感が増したのでした。
他にも父親のコロコロ変わる態度に対しての不信や不満が増えていきました。
いつしか、何かを頼ったり、頼み事を望んではいけない人なんだと思うようになりました。

社会に出る前に一番に接する大人が親なので、
その手本となる大人が手本にならないと思った時から
私は大人という人達に対しても不信感を募らせるようになりました。

訳のわからない父の行動、性格は今思えば
因縁の影響から来ていたのでしょう。

父方の父、私から見て祖父は
若くして亡くなりました。
祖父は戦争で徴兵され東南アジアに遠征に行っていたそうです。
戦争が終わり、戻ってくると神事の手伝いを始めました。
でも、遠征に行って結核を患っていたらしく
日本に帰って来て、数年で息を引き取ったそうです。

祖父が無くなった時、父は5歳くらいで幼く
ほどんど祖父とは話したことがなかったそうです。
父には妹がいます。
私から見て叔母にあたりますが
祖母は叔母をかわいがり、父をあまり構わなかったみたいだったと母から聞きました。
そういうこともあり、父は愛情を受けて育っていなかったようでした。

高校の頃に父と話すことがあり、
その時、父が言っていました
「どうやって子どもを育てていいのか分からない。」

高校の頃の私は精神的に異常だったので
父に同情することもなく
「なんだこの人は。それでも父親か」と軽蔑しました。

人と関わる職業なのに
家族とどう接していいのか分からなかった父。
今思えば、父も悩み苦しんでいたのだと感じます。
自分自身の空虚感を埋めれなかったのでしょう。

父はそういう自分に負けて
家族と向き合うことから逃げました。
精神的に一人の世界に籠ったのでした。

自分に負けるというより
魔の囁きに負けたのでしょう。
因縁から色々な邪魔が入り、挫折を繰り返すことで
元から人付き合いが得意ではなかった分、余計に人間不信になっていったのでしょうから。
父の霊媒体質は強く、因縁の影響を物凄く受けていたのだと思います。
誰にも心を開かず、孤独の父は奴らの格好の的でした。
父をそういう風に奴らが仕立てた訳ですが

でも、表向きは人に優しい良い宗教家の様に振舞っていました。
信者さんや家族以外の人には内面を悟られないように接していました。
しかしそれも長く付き合っていくと態度や行動でボロが出ていきました。
嘘はいずればれてしまうということを思いました。

あることをきっかけに父には何かを成すという想いは無くなり、
現状維持でいればいいということになったそうです。
そういうことから信者さんが減ることはあっても、増えることはありませんでした。
お布施は少なくなっていき、子どもの成長と共に家計は苦しくなる一方でした。

見えない世界の影響にしろ
そういう父を学生時代の私は許せませんでした。
何に対してもやる気がなく、
夜になれば飲んだくれて寝っ転がっていて
朝はいつも起きれず、昼まで寝ている人でした。
いいところはあるにしても
それ以上に悪い部分しか見えませんでした。
こんな人だったら、いない方がいいと思ったりもしました。

親っていったいなんだろう?
そんなことを常に考えていたように思います。

父の稼ぎは無く
四人の子供は母の手に掛っていました。
私の家の功労者は母です。
母無くして今の家や家族はなかったでしょう。

そんな母についてはまた後ほど

続く
影見

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