十二大従星は自然に稼働し、十大主星は意識して稼働させる。

高尾学館発行の「算命学界」の14号(5月号)の記事に納得です。

私が算命学に興味を持った人間学や動物占いはまさに十二大従星でしたから、

その(なんて当たっているのびっくり)の思いから算命学を勉強し始めました。

特に晩年十二大従星(50%)は見た目の個性をもピッタリ口笛

例えば十二大従星・天将星(帝王)=動物占いなら虎、人間学では悠然型、

外見でも風貌も悠然としていて、何事にも悠然として見える。

例えば十二大従星・天禄星(中間管理職)動物占いならライオン、人間学では完璧型、

外見も威風堂々して(背筋伸びて)、弱点を見せず弱音をはかない。

例えば十二大従星・天印星(赤ちゃん)=動物占いならこじか、人間学では自然型、

外見でも無邪気で自然体、頼りなさげで手を貸してもらえる。

等々、晩年の十二大従星は外見に出てしまう。

それに比べて、十大主星は意識して稼働して自分の個性と納得できる。

かなり前、ananと言う雑誌で「中森じゅあんの算命学」特集を組んだ時の

十大主星(中央)」のイラストの絵が晩年の私や友人たちにぴったりだったのでビックリびっくり

好きなこと、自分で満足できることをやっているうちに晩年は中央の星で生きるんだと思ったものです。

例えば、石門星は友人たちと楽しんでいる。

例えば、龍高星は旅行を楽しんでいる。

例えば、玉堂星は和服や茶道を楽しんでいる。

 

晩年になればなるほど、算命学の自分の星に納得させられます。