- 劇場 (新潮文庫)/新潮社
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All the world's a stage,
And all the men and women
merely players.
この世界はすべてこれ一つの舞台、
人間は男女を問わずすべて役者にすぎぬ
シェイクスピア『お気に召すまま』第二幕第二場の、作品中もっとも有名なジェークイズの台詞。
本作品にも登場するのですが、たとえ登場しなくとも
作品のテーマはこれかな・・・・・・と思います。
原題は、Theatre
The Theatre でも、 A Theatre
でもなく、Theatre というのがポイント。
天性の才能を駆使し、堂々たる舞台女優となった46歳のジュリア。
彼女は、美男俳優で劇場経営者でもある夫や、20年来プラトニック・ラブを捧げ続ける貴族に囲まれていたが、たまたま劇場の経理を担当した23歳の青年トムに夢中になる。
そして、トムの心が新人女優に傾いたのを知ったときジュリアは・・・・・・。
コレットの『シェリ』などを連想させますね。
あとは、リヒャルト・シュトラウスの歌劇『ばらの騎士』。
ただ、ジュリアは、元帥夫人のようにあっさりと身を引くことは出来ず、自分の息子にさえ嫉妬してしまう・・・・。
レアのように、ジュリアも自分の老いを認めたくはなく・・・。
最初はジュリアとトムが出会うところから始まり、
一旦回想になり、そしてまだ現代に戻る・・・・という構成。
モームだからとにかく読みやすく、分かりやすい。
回想が入ると途端にごちゃごちゃして付いていけない作家もいますが、
これは難なくついていけます。
この構成は、上手い。
訳者による解説では、「意識の流れ」と書かれていますが、
ううーーん、これはちょっと意識の流れとは言えないんじゃ~~~?
意識の流れだと、もっと読みにくいですよ。
独白が()で括られていて、ジュリアが何かを発言しつつも、内面では別のことを考えている・・・・ということが分かりやすくなっています。
と言っても決して読みにくく。
ちょっと違いますが、信頼できない語り手と似たような効果が得られます。
モームって、他作家と比較してもシェイクスピアが特に好きだったようで(たぶんね)
作品中にまあよく引用があって、嬉しくなります。
大抵訳注にこれは何々からの引用、と書いてありますが
そんなのわかったって仕方ないわけだし
それがどのような意味を持って、どのような文脈で使われた言葉なのかを知らなければ意味がない。
言ってしまえば、分かる人にだけ、分かる。
そんなのが読書の醍醐味の一つでもあります、
ジュリアは女優なので、
俳優や女優の名が作品中によく見られます。
それもまた、サラ・ベルナール、シドンズ夫人、ジョン・フィリップ・ケンブル(シドンズ夫人の弟)、チャールズ・キーンなど
シェイクスピア俳優、女優ばかり。
特に出てくるのは、サラ・ベルナール。
ジュリア・・・・・・かの大女優をライバル視しているようです。
ということは、ジュリアの女優魂がどれほどのものなのか、彼女の演技力はどれほど高いものなのか、そんなことも窺い知れる気が・・・。
さすがに文学で「演技力」を示すのって、限界がありますが
ジュリアが骨の髄まで女優である、ということが随所に散りばめられていて、
見(読み)どころは、トムとの恋よりもむしろこっちじゃないのかな。
と思いつつも、その恋もなかなか。
ジュリアのような女性が、どうしてトムを愛しているのか・・・・・
年齢以前に釣り合わない2人なんだけれど
ジュリアがトムを愛しているのは事実。
ただ、トムにそれを悟られないように、苦しい胸の内を押し隠して
ひたすら演じているだけ。
どうしてトムを愛しているのか、なんて野暮な疑問が浮かび、納得できない、なんて思わせず
理由がないのが恋だよね。
と思わせる。そこがモームの腕です。
(実際、理由が「ある」のは恋じゃないというのが持論なのですが、
このあたりの描き方は作家や監督の腕が如実に表れるので、気になってしょうがないポイント)
最初からトムに対して「かわいいわね」なんてちょっとした好感は持っていた、ジュリア。
決定的に恋に落ちたのは、おそらくあの時計の場面では。
トムとジュリアが食事をする場面で、
ジュリアはトムに時間を尋ねます。
「時計、もってくるのを、忘れちまいましたよ」
それでぴんと来たジュリア。
トムは、ジュリアに食事をご馳走するために、質屋に入れていた。
「彼女は急に喉がつまってきた。すぐその場ででも、彼を両手に抱きしめ、青い眼に口づけしてやりたいくらいであった。いとしい男だこと、と思った。」
作品最大の胸キュンポイントです!!!о(ж>▽<)y ☆
まあ、この後お金の問題で色々出てくるのですが・・・・
これは、かなりの女が落ちちゃいますよね、うん。
問題なのは、ひたすらにジュリアが実生活でも演じ続けてしまうということ。
どこまでも、女優。
本人は、気付いているのか、いないのか。
彼女が発する言葉、一言一言が作品の台詞。
しまいには、無意識にそれをやっているところが怖い。
しかし、本人の知らないところで、本人よりも気付いてしまっていた重要人物が一人。
「演じる」とは、何なのか?
愛想よくすることだって、「演じて」るのではないか?
電話で声を高くすることだって、「演技」でしょ?
むしろ、そのほうが「ありのまま」なのか?
「あなたってものは存在しない。あなたはただあなたが演じる無数の役割のなかにだけ存在するんです。」
「だが、捧げた唇を彼が受けとろうとはしないので、彼女はそうっと身を引いて、考え込むように、じいっと、電気ストーヴに眼を注いでいた。あいにく、それは消えていた。
この場面には、火がなくてはならないのに。」
これ、映画化はされていないのでしょうか。
ジュリアを演じるのは非常に難しいでしょうが、
50.60代の名女優が演じたら・・・・・素晴らしいものになりそう。
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