8/9の日記。
プラハ市内のキャンプ場にて起床。
まさかプラハでキャンプができるとは思っていなかったのでありがたい。
費用も2泊で2500円弱と、首都であることを考慮しても安いほうだろう。
プラハ市内の観光へ向かう前に平面の場所にテントを移動しておく。
貴重品以外はすべてテントの中に放置して、カギをかけてプラハを回るのだ。
前日に坂道で痛めた左足の腱は幸い回復していたが、こういうのは予測ができないもので、突然またズキズキと痛み出したりする。
なるべく負担をかけないようにギアを軽くして漕ぐ。
前方を歩くのはバックパッカーの夫婦orカップル。
重い荷物を旦那さんが全部持ってあげているところに優しさを感じる。
こういう旅も憧れるな~。
しばらくしてプラハの市街地に到着。
道路が石畳なので走りにくいことこの上ない。
市場にて甲冑を発見。
良く見たら隣のファンキーなお兄さんがハンマーを振っているじゃないか。
この甲冑はきっとお兄さんが造ったのね。
鉄を熱して、台の上に移動させて、叩く。これを繰り返してらっしゃった。
さすがプラハ。中世の雰囲気が漂っていてテンションが上がる。
まずは共産主義博物館を来訪。
大学の卒論で社会主義について執筆した者としては、ぜひとも訪れておきたかった博物館だ。
マルクスの銅像と記念撮影してから入館。
共産主義博物館とは言っても、実際は20世紀史博物館のようなもので、戦前の展示物もある。
写真はヒトラーがチェコ(当時はチェコスロバキア)にズデーテン地方の割譲を要求して開かれたミュンヘン会談の様子。
左から、イギリスのネヴィル=チェンバレン、フランスのダラディエ、ドイツのヒトラー、イタリアのムッソリーニ。
この会議にチェコスロバキア代表は招かれず、宥和政策を進めるイギリスの鶴の一声でズデーテン割譲が決まってしまったのだ。
チェコ人がこの会談を"Munich Betrayal"と表現しているところが興味深い。
カメラマンの方を向いて毅然としているチェンバレンとは対照に、ダラディエの視線は不信感を募らせているようにも見える。
共産主義のプロパガンダアートもある。
農民や労働者を力強く描き、労働を美徳するような雰囲気を醸し出すのが特徴である。
戦後史では主役級に躍り出るのがチェコスロバキア。
1968年と言えばプラハの春である。時のドプチェク政権は”人間の顔をした社会主義”を掲げて大胆な民主化改革を進めた。
しかしそのことブレジネフの逆鱗に触れ、ソ連軍の軍事介入を招き、改革は頓挫してしまった。
しかし苦難にめげないのがチェコ人のすごさ。
1989年には指導者ハヴェルの下でビロード革命を成功させ、共産党の一党独裁を崩壊させたのだ。
博物館にはビロード革命の際の貴重な映像資料が上映されており、大変参考になった。
チェコ人といえば、フス戦争の際も三十年戦争の際にも圧政に対して立ち向かった民族。
どんなに敵が強大であろうと立ち向かう、そんなチェコ人のメンタリティーが僕はとても好きなのだ。
博物館見学を終えて街をブラブラしていると、こんなスポットを発見した。
その名も、セッ〇ス・マシン・ミュージアム。要するに大人のオモチャ博物館。
チェコ語は読めないが、おそらくこれは18歳未満立ち入り禁止を意味しているに違いない。
旅行する際、僕はいつも敢えて名所を一つか二つ見学せずに残しておく。
その理由は、次にまた訪れた時の楽しみをとっておくため。
自転車旅の時に行けなかった名所は、将来結婚して家族でもできたときに訪ればいいのである。
しかしこのミュージアムはどうだろうか。
将来家族と一緒に見学することなどできるはずもない。
つまり一生のうち、おそらく今このタイミングしか行くことができないスポット。
行くべきか!?どうするのか!?
ハイ、行きました~~~~~!
一名様ご案内~~~~!
18歳未満の読者は、ここからは自己責任ということにしておいてね。
入って早々僕を出迎えたのは、ミス・セッ〇スマシンなる人形。
ストレートに言うとダッチワイフというオモチャ。
”Holes are fully functional”という説明が絶妙に面白い。
このリカちゃんハウス風のオモチャはいったい何か。
左の部屋では行為をする男女。右の部屋ではそれをのぞき見して自慰行為に耽る爺さん。
ジイ行為に耽るジイさん、つまりこのおもちゃはジイジイさんハウスなのである。
ジイジイさんのうつろな表情が死ぬほど笑える。
このハウスの制作者は、どんな意図で、どんな気持ちでこれをつくったのだろうか。
このハウスのメインターゲットはどの層なのだろうか。気になるわ~。
この器具は何かというと、青少年に自慰行為を覚えさせないようにするためのもの。
この説明を見ればすべてわかると思われる。
シュールな説明がいちいち面白い。
これも同じく自慰行為をさせないための器具。仕組みがわかるだろうか。
立つと刺さる。拷問のようなパンツである。
博物館にはこれら以外にも、とてもブログにアップできないようなオモチャもいっぱい展示されていた。
印象的だったのは、どの展示室からも来場者の愉快な笑い声が聞こえてくること。
エロとは世界共通で笑いを引き起こす話題なのであろう。
博物館の興奮冷めやらぬまま、路上を走っていると警官に呼び止められた。
どうやら僕は交通違反をしたらしい。
違反の理由は、歩道を自転車で走っていたため。
日本では許容される行為だが、チェコではしっかり違反をとられる。
なにやら書類にサインさせられ、罰金100コルナを徴収された。
100コルナはだいたい500円くらい。日本だったらその10倍くらいとられるのに、チェコの罰金は安くて助かった。
昼飯はまたまたケバブ屋にて。ここのケバブ屋はハズレだった。
パンがケバブ用のピタパンじゃないし、具材の盛りもごく普通。
普通なのが当たり前なのだろうけど、ドイツで食べたはち切れんばかりの盛りが恋しい。
昼食後は、ミュシャ美術館へ。
ミュシャの作品は暖かみのある色使いとイラスト調の優しいタッチで有名。
ミュシャから西洋画に興味を持ったという人も多いだろう。
僕も中学生の時にミュシャに魅了された。これでも僕は美術部所属だったのである。
三つの博物館美術館を見学してさすがに疲れてきた。
それにヨーロッパは入館料がやたらと高い。ベルリンもそうだったが、ここプラハでも博物館の入館料は大体どこも1000円以上である。
お金を使い過ぎたことの後ろめたさもあり、夕方はスタバでゆっくり旅の情報収集をすることにした。
しばらくすると、隣の席に座っていたおばあさんが僕に話しかけてきた。
おばあさんはカレンさんといい、ニューヨークに在住しているとのこと。
これまで多くの留学生をホストとして迎え入れたことがあるらしい。
カレンさんの英語は特徴的なアメリカ東海岸の英語で、非常に聞き取りやすい。
1時間近くおしゃべりをして仲良くなり、フェイスブックの友達になった。
カレンさんと別れて帰路につく。
ケバブを買ってキャンプ場で食べることにするケバ。
今回はこのようなロール状のケバブを買ってみたケバ。
ナンのように生地が薄いので、具材の味が際立って旨いケバ。
具材も結構たくさん盛ってくれた。やっぱりケバブはこうでなきゃケバ。
プラハは見どころがたくさんある街だった。
じっくり見ようとすれば3日ほどは必要だろう。
結局プラハ城にも行けてないし、またいつか家族と一緒に来たいものである。
走行距離:17km
走行時間:1時間52分
総走行距離:18459km