ブログネタ:オリンピック、思い出のシーンは? 参加中
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札幌市大倉山シャンツェ。
ラージヒルのジャンプ台がある競技場。
ジャンプ台からは札幌市が見渡せる。
ジャンパー達は、まるで札幌の街に飛び込んでいくかのよう。


僕は高校時代までを、この大倉山に程近い場所で
過ごしていた。小学生の頃は遠足で行ったりもした。
今でも、たまに夜のドライブで行っては、夜景を眺めたり。

小さい頃からジャンプのTV中継を見るのが好きだった。
あんなに高い場所から、90km近いスピードで踏み切り、
飛び出して空中で美しい飛形を保ち、風をうまく利用して
距離を伸ばしていく選手が、ただ、ただスゴイと思った。

その中でも、僕が大好きだったのは、ミスタージャンプ、原田雅彦さん。

持ち前の跳躍力を生かした、独特の高くジャンプする踏み切り。
そしてどんなときでも穏やかに語り、決して言い訳をしない姿。
どんなにスランプになっても、コツコツ努力を続けて諦めない。
原田さんを知れば知るほど、ますます好きになり、尊敬した。

1998年、長野オリンピック・ジャンプ団体競技。
日本は岡部孝信、斉藤浩哉、船木和喜、そして原田雅彦。
原田選手の1回目、大雪でほとんど前が見えないような状況。
失敗ジャンプ、原田またか、そんな声も聞こえた79.5m。

原田選手がこのときのことについて飛距離が伸びなかった
訳を語っているところは見たことがないけれど、実際原田選手
だからこそ79.5m飛べた、というのが多くの人の意見。


大雪の中、2本目の打ち切りが囁かれる中、テストジャンパー達
が懸命に飛んでいた。素晴らしい大ジャンプを見せる。結果、2本目
が予定通り実施されることとなった。

そんな2本目の原田雅彦選手のジャンプ。
独特の踏み切りから、どんどんどんどんどこまでも距離を伸ばして
いく。137mの大ジャンプ、転倒せずに踏みとどまった姿を確認して
なんだか僕はとてもとても嬉しかった、なぜかガッツポーズをしたのを
覚えてる。その後の名言「ふなき~ふなき~」や金メダルが確定した
時の涙を流して喜んでいる姿、なんだか僕も感動してもらい泣きして
しまった記憶がある。間違いなく、僕にとってオリンピックで最も感動
した瞬間だなぁ。

原田さんの人間性が、ジャンプという競技の魅力をさらに輝かせて
くれたからこそ、僕は今でもジャンプを見続けているのかなと思う。
今は雪印ジャンプチームの指導者として活動されているが、今度は
いつか指導する選手とオリンピックで喜びを分かち合う日を期待したい
なって思ってる。

そうそう。大倉山のジャンプ台の横にある、札幌ウインタースポーツ
ミュージアムでは、ジャンプの体験シュミレーターがあって、実際の
ジャンプの姿勢、スピードを体感することができます。札幌市民でも
十分に楽しめる場所だと思うので、1度是非行ってみてください。