ACO☆COLUMN -4ページ目

一歩。

「アコさん家の新聞て河北新報だったよね?後からでいいから○面の左上読んで。」





前の日。



泣きたくないのに泣きながら今の心境を話してしまった私へのこうちゃんからの突然のメール。



新聞を読んでみる。




・・・・・・・・・。





切り取って大切に手帳にしまっておきます。



心配してくれて


新聞を読みながら私を思ってくれてありがとう。


それだけで十分です。


一生忘れない。





この辛さもいつか笑い話のイイ思い出になることを祈って。


こんなエピソードをいつか自分の子供に話せる日が来ることを祈って。




「いつもぶっきらぼうでもね。ちゃんと考えてちゃんと思ってくれている人はいるんだよ。

目には見えない優しさというものもあるんだよ。

それを感じる力を養うのも必要なんだよ。

見えるものだけじゃなく見えない感じるものも。

大切にできる人になろうね。」




明日は私が生まれた日。



32年前の今。


ママは尋常ではない痛みを我慢して。


私をこの世に産み出そうと頑張っていてくれていた日。


私が私の人生を歩み始めようと動き始めた日。




これから私も一歩一歩動いて行かなくちゃ。



どんなことにも負けず


どんなことにもくじけず


どんなことにも諦めず



今日から一歩。


明日はまた一歩。



むかーし昔のお話。

むかーし昔。



社会人一年生の私は。


年上のスーツの一人の男性をものすごく慕っておりました。



「アイスドールと噂になっているのは君???・・・きれいな爪してるね(笑)」


この一言が知り合ったきっかけ。



お兄ちゃんのように優しくて。


仕事の合間に毎日顔を出してくれ。


私の仕事の終わるタイミングで毎日喫煙所に来てくれました。

(その時は煙草すってたんだよね)


飲んで電話すると帰りは危ないからと迎えに来てくれました。


しょっちゅうご飯を食べに行き


朝は同じ時間に地下鉄に乗り


そんな一年間を過ごし。



彼は戻って行きました。


戻ってからも出張のたびに会いに来てくれました。




そんな彼の住んでいるところは南三陸町。



そう。


津波の被害のひどい所。


役場ごと流され


住民の半分の安否しか確認されていない。






もうまーったく連絡もとっていないし


連絡のしようがない。



きっと無事だよ・・・ね。


そう思いながらも仕事でお世話になっている南三陸の担当者には聞けないし・・・




勇気を出し安否確認のサイトにアクセスしてみた。



3月27日現在。


彼の同級生が彼の安否を確認していた。



・・・居ないんだ。



思わず安否確認をしている彼の同級生に失礼とは思いながらもメールをした。



返事が来た。



「生存しているらしいとの情報はありますがいまだ本人と連絡はとれず、どこからの情報かわからない」

とのこと。



わかり次第連絡をください。と返事を打った。



まだ連絡はない。




お願いだから生きていて。


結婚してパパになったって言ってたじゃん。


お願いだから生きていて。




生きていてくれたら


ものすごく久しぶりに会いに行きますから。



三十路のちょっとは大人になったアコで会いに行きますから。

贅沢は日本の敵???私の敵・・・?

最近。


なぜか突然無言になってしまう。




考えてるのか


ボーっとしてるだけなのか






3月11日からの生活と言ったら・・・




電気もつかない


ガスもつかない


水も出ない


携帯の充電も底を尽きる




あるのは寒さとロウソクの灯りとラジオの音だけ。






そんな生活から一つ一つ。




不眠不休で働いてくれている皆さんのおかげで徐々に日常に戻りつつある。






今日の仙台の街の中は




不便ではあるものの2週間ちょっと前に地震があったように思えないほど普通に見えた。






そしたら何も話せなくなった。






あまりにも状況が違い過ぎる。




車で30分足らずで行けるところが跡形もなくなくなり




今もなお不便な生活を送っている。




それをわかっているのに




日常に戻りつつある私は




また別なことを考え




別な悩みを持ち




贅沢にも自分のことを考えている。






そんな自分がものすごく小さく思えて言葉が出なくなる。




一日も早い復興を願い


一人でも多くの人が見つかることを祈り


一人でも多くの人が日常を取り戻す事が出来るよう




心からそう思う。




でもその片隅にはいつも自分の想いや幸せや感情。


それが付きまとって・・・




どうして今は一つのことだけを願えないんだろう。




ちっさいなぁ・・・と。






一人一人心の傷の大きさは違うし、思うことも違う。




それぞれが住んでいる場所で、今出来ることをすればいいとも思う。






余震は続いているし、決して日常に戻ったわけではない。




私自信もいまだに枕元にリュックと懐中電灯と服を用意し携帯は寝る前までにフルに充電しておく。




時計は付けたまま。




一つの部屋に一緒に寝ている。








それでもやっぱり大好きな人に会いたいし、買いだしの行列に並ぶのでいいからデートだってしたい。




メールやちょっとの電話じゃなくてくだらない今日あった出来事を話したい。




ぎゅってしたいしされたいし。




一緒にいたい。






それを願うことがイケナイ事のような気がして・・・。




贅沢過ぎるような気がして・・・。






「贅沢は日本の敵であります!欲しがりません。勝つまでは!」




…みたいな。










あ。




私は元気だしいっぱい笑ってるし今の環境にも十分順応しています。



普通の毎日を送ることが一日も早い復興への一歩だと言うこともわかってます。



ただ。




温度差があり過ぎてものすごく戸惑う。




何を願い、想うのが正しいのかわからない。






こんなんでもいいのかな・・・




って頭がブロッコリーみたいにでっかくなっちゃいそうだったから書いちゃいました。






みんなのブログに書いてあるように「私が普通でいなくちゃ」ね。





私はマザーテレサじゃないし、ものすごい特別な力をもっているわけでもない。




私が幸せ☆と思えることで家族や友達が幸せだと思ってくれればそれが一番の幸せなのかもしれない。






やっぱり今日もヅラヅラ日記になってしまった。






結局。地震が起きようと何があろうとどんな時も私から居なくならない。





こんな時なのにそんなこと・・・かもしれないけど。




不安で心細くてそばにいて欲しい時だからよけい頭から離れないのかも。






ホント。




贅沢だ。




アタシ。