今日は8月6日、忘れてはならない日ですね。
広島県人はずっと平和教育をうけてきましたが今実際経験されている方の高齢化で伝承の問題がでてきています。2度とこんな目にあってほしくない!とつらい経験をくちをとざしていたかたもつらいおもいをされても語ってくださる方がいます。
お昼のレッスンがおわって一度家にもどってNHkをみていました。
65年ほどの間戦争でなくなった男性に恋をしつづけている女性のドキュメンタリーでした。
はじめのほうは仕事の電話がはいっていてきちんとみれなかったのですが
彼女がむかしおもいあった相手がいて「そのかれはとてもわたしをからかうのがすきでそれにすぐわたしがはぶてて(むっとして)たんですよ。
みなさんはわらかもしれませんがわたし今でも22でかれが30でずっとよこにいるとおもって話して生活してるんです。」
そう語る年輪を重ねた彼女の顔は本当に22歳のままにみえました。
おもいあっているふたりはすぐに戦争でひきさかれました。
かれが広島にいったあとも彼女はおもいつづけました。
男性の両親が男性の縁談をきめてかれから一度連絡がなくなりましたが彼女が広島まであいにいき
彼はその縁談をことわっていたのですが、いつ命をおとすかわからないのに大切な彼女に結婚をもうしこむことができずにいたのです
彼女はずっと彼からのプロポーズをまっていました
ふたりはいっしょにいきていく約束をやっとして彼女は電車にのりました。
その日がふたりの最後でした。
わたしあれからずっと一人でいきてきたんですけど一人じゃなかったとおもいます。ずっとよこにいてくれていたとおもいます。
人生の最終地点がちかずいているそのまえに彼の最後をたしかめてから彼のところにいきたいんです。
にこやかに彼女は広島をおとずれて戦争のつめあとがのこる場所をめぐります。
最後に彼女は彼がつとめていた千田町の跡地にいき彼の最後はどうだったのかたしかめにいきました。
そのあと彼女は建物の前のまえにたおれこみ
死ぬときは22歳のわたしにもどって30のかれのところにいきます!
でもせめて1週間でも、いいえ3日でも、たった1日でも一緒にすごせたら。。
それがだめならせめて一食でもわたしが料理をつくってたべさせてあげたかった
夢ですけどね。。
そういって泣き崩れられました。
彼女の時間は22のときでとまっていました。なんという凛とした一途なそして純粋で深い人生。
その彼女のおもいに深い深い哀愁に満ちた美しさを感じました。
これが戦争です、戦争は二人の未来をうばったのです。
彼女は彼への想いだけでいきてきたといいます。そのシンプルなエネルギーで、恋をずっとしているんです。
この人生をまっとうしたら彼にあえるという未来です。
今は簡単にいろんなことができていろんなことがライトなものがおおいけど
こんな深く強いおもいを経験されたひとのあとに私たちがいきていることをわすれてはならないとおもいました。
私たちは今自由で。踊りをおどっているわたしも踊りにおもいをこめて表現して救われることがあります。
彼女は日々どう自分の感情とむきあっていたのでしょうか・
胸をうたれました
わたしたちはあの日やあの戦争でいろんなことをあきらめなければならなかったひとたちのあとにいきています。そしてあの地にいきています。愛している人たちとともに。
深い祈りをささげたいとおもいます。深い感謝をかんじました。
これからもずっと感謝をわすれずに生きていきたいと感じました。
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