数日前の夜、古い友人から電話がありました。
彼女とはかれこれ20年以上会っておらずご無沙汰していました。
近年は年賀状のやりとりくらいでした。
懐かしい~
「あのね・・・とっても不思議なコトがあったの・・・」
と、彼女の声は震えていました。
突然の電話に驚いたのと、この話し始めに私の心臓はドキドキ
一体何があったというのでしょう
彼女の話によると、先月の末に車を新しく買い替えたので、どこかに遠出しようということになり、
ご主人とふたりで、青森の八甲田山に行くことにしたそうな
なぜ、八甲田山なのかというと、実は八甲田山には私の曽祖父の銅像が立っていて
それを思い出しなぜか見にいこうと思ったそうです
私の曽祖父は、明治に起きた八甲田山雪中行軍の生き残りで、210人中11人しか生き残らなかった中の一人です。
この大惨事の時に、このことを山から降りて知らせようとしたところを発見されて、
その功績をたたえられ(?)銅像が立てられました。
詳しくはこちらをご覧ください。
↓
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%85%AB%E7%94%B2%E7%94%B0%E9%9B%AA%E4%B8%AD%E8%A1%8C%E8%BB%8D%E9%81%AD%E9%9B%A3%E4%BA%8B%E4%BB%B6
友人は塩竈の人ですが、たしかこの話は昔々若かりし乙女時代、彼女の家に泊まったときに
彼女のご両親と話しているときに話題にのぼったのでした。
よく覚えていてくれたものです
その友人Hちゃんの家では、高級お寿司をごちそうになって、とっても手厚くおもてなしされたのでした
Hちゃん、その節はありがとう!!
お父さまが塩竈で水産加工会社を経営していたので、震災のことは気になっていましたが、
ご両親とも無事だと知り安心しました
話を戻します。
そうして、ご夫婦で八甲田山に行き銅像の前で手を合わせた時、周りにはセミがいっぱいいてそれはそれは賑やかだったそうな。
み~んみ~ん
すると、一匹のセミが銅像の足元に飛んできて、じっとHちゃんを見ていたそうです。
どんなに近づいても逃げず、まるで何かを話しかけているようだったと。
Hちゃん、とっさに
「じいちゃんだ~~~~」
その後、資料館に立ち寄り雪中行軍のことを詳しく知ると、悲しくて悲しくて涙が止まらなかったらしく、
「今まで、よく知らなかったから、生きて帰れてよかったね!ぐらいしか思わなかったけど、
今電話でこうして話してるだけでも涙がでてくる」
と言ってくれました。
※映画「八甲田山」が少しだけこちらから見られます。
↓
http://www.youtube.com/watch?v=Aq5rzK279io&feature=related
帰り道、曽祖父が発見されたところ(目印が立っています)に立ち寄った時も、
何度も何度も振り返ってしまったらしく、
「きっとあそこに、たくさんの人が立っててこっちを見ていたのかもね・・・」
と。
Hちゃんが、そんな八甲田山の旅から戻ってほんの数日後。
たしか先週の土曜日でしたよね。
河北新報の一面に、八甲田山雪中行軍の記事が大きく取り上げられていて、
曽祖父の写真が掲載されていました。
↓
http://www.kahoku.co.jp/news/2012/06/20120630t73020.htm
残念ながら、我が家は河北さんは取っていないのですが、周りの方々からずいぶん声をかけられました。
メールをくれた友人もいました。
「おじいちゃん(本当はひいおじいさん)新聞載ってたね!」
と。
Hちゃんは、このタイミングにびっくりして電話をくれたのです!
「おじいちゃん、きっと何か言いたいんだよ!
こんなご時世に物申したいんだよ!きっと。」
うんうん。
そうかも知れないね。
曽祖父は何かメッセージをくれているのかも知れません。
じいちゃん、なんじゃ?
何が言いたいんじゃ?
私が銅像に会ったのは、10年ほど前に1度きり。
その時は、実家の親姉妹、親戚、近所のみなさまで観光バスを借りきって行きました。
100周年の記念行事があったのです。
あ!小学生の時も行きました(笑)←追記。
が、家族はまだ一度も行ったことがありません。
この夏は家族を連れて、八甲田山に行く計画を立てようと思います。
Hちゃん、ありがとう!
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