バリ島でオリジナルシルバーを作る、感じる。 -3ページ目

バリ島でオリジナルシルバーを作る、感じる。

バリ島で暮らしています。
日々暮らして行く中、自然を見ていて感じるインスピレーションを
デザインし、オリジナルシルバーを制作しています。
そんな毎日に感じる事を綴ってゆきます。

お久しぶりです。
ブログをまた、少しづつ再開していこうかと考えている矢先
「こいつは、びっくり箱みたいだよな」と常々思っている旦那の
結婚してから一度も聞いたことのない、初めましての話を
おとといの夜、近所の友人宅で聞いたので
面白かったので、書いておこうかなと思います。

旦那の話には、面白い、たぶん日本で生まれ育っていたら
あんまり経験できないだろう話がたくさんあるのですが
これはちょっと、カリマンタンに行きたいな....いや、行きたくないな
と思わせてくれる話です。

旦那は学校を終えてから、インドネシアの殆どはグルグルしただろう
生涯の仕事と場所、自分探しの旅に出ていたことは聞いたことがあったけど
そんな中での話です。

カリマンタンに行くきっかけは、船乗り募集で見つけた
船の仕事で、その仕事の先がカリマンタンだった、と言うことだけど
カリマンタンには荷物を降ろす、と言うだけの事なので
滞在してもせいぜい2.3日。
どうしてもカリマンタンを見てみたい、と思った旦那は
そこで、せっかく見つけた仕事を辞める事にした。

約束の期限を守っていないので、お金はほんの少ししかもらえなかったそう。
「これで、カリマンタン見てる歩くのは、無理があるなー」とは思ったものの
好奇心の方が勝ったらしく、なけなしのお金を握りしめ
船はまた旅立って行ったそうだ。

旦那はその船を見送り、どんどんそこから歩き出した。

しばらく行くと森に入り、お腹がすくと、そんな森の中にある村のパサールにより
Tシャツを脱いで、食べ物と交換したり
また歩き出して、お腹が減ると、今度はサンダルと食べ物を交換したり

そんな事をしながら、どんどん森の奥深くに入った行ったんだ。

そこまで、どのぐらいの日数が経ったのか
とうとう、旦那はトランクス一枚という出で立ちで、少々不安を感じ始めたらしい。
一体ここはどこなのか?自分はどこに向かっているのか???

周りは全くの森だし、オランウータンとかは絶対にいるだろうし
もしかしたら、凶暴な動物だっているかもしれない、とか
好奇心が勝って行動したんだけど、この辺りで、常識的な事をいろいろ考え始めたらしい。

その日、夜も遅くなり、どこかの村のはずれなのか
小さな東屋を見つけ、そこに横になる事にした。

「まぁ、明日は明日の風が吹く」と、気楽に考えようと思い直し
眠りに落ちたんだ。

森の木は、全てとても大きくて、よし空さえも見えないような
深い深い森だった。


と、翌日の朝、誰かが旦那を揺り動かして起こした。

「⚪︎×△◻︎?????」

カリマンタンに着いていて、自分はそこを動いているわけだから
これはカリマンタンの言葉だとは思うが
何を言っているのやら、何にもわからない。

インドネシアには、ものすごい数の地元の言葉があり
その言葉は、日本の方言、とは違い
同じインドネシア人同士でも、地元の言葉では何もコミニュケーションできないぐらいに
全く別の言葉なのだ。
それで、スカルノ元大統領が、インドネシア国として独立した時に
インドネシア語を全国共通のものとして、学校とかで教え始めたのだ。

さて、何か質問されている事はわかるが、何を言っているのやら.....

困っていると、その人はちょっと待ってろ、と、どこかに行き
友人を連れてやってきた。

その友人は、インドネシア語がペラペラではないが
なんとか出来るようだ。


長くなったので、続きはまた今度~~


*カリマンタンの女性はとても綺麗な人が多いとの旦那の言葉。

写真は、お借りいたしました。






確かにかわいいじゃん。
なんとなく、アイヌと同じ匂いを感じるんですが。
白糸の滝を後にし、その上の方にあるお鬢水に向かう。
お鬢水とは、源頼朝がほつれた耳際の髪の毛を
このお水で直したと言う伝説のある場所だ。





後で分かった事だけれども、前回の日本で訪れた人穴冨士講遺跡。
富士講の開祖、長谷川角行(藤原角行)はここで修行し悟りを開いたとの事だが
この長谷川角行は、修行の際2.3日に一度はここに訪れ
契りをしていたとも言われているらしい。
角行は夢で役行者から教示を受け、富士山麓で苦行を重ね大行を成就したとの事。

何とも美しい水が湧き出て、その奥にある岩に囲まれた所で
しばし、お祈りをする。




インドネシアに『コソン』と言う言葉が有るのだけれども
そしてそれは、日本語訳すると「何も無い」と言う言葉なのだが
この地での私は、全くの『コソン』だった。
つまり、頭で色々と考えられないのだ。
考えようともしない、と言うか。

何故、シライトノタキヒメなのか?

何処に行くにも、巡礼、と言う意識のある旅では
いつも私はこう言う状態に成る。
そこの歴史がどうのこうのとか、言われがどうのこうのとか
行った後では、調べてみる事もあるが、
最中では只そこに存在してみるだけ、そう言う感じなのだ。

だから、今回出て来た角行も源頼朝も、役行者も
私にはよく分からない。


ただただ、白糸の滝にしても、このお鬢水にしても
地球に存在する美しい水について感じてみた。


そろそろ夕方だ。


この後、私たちは山宮浅間神社に向かった。



続く