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日々、発表される東京での新型コロナウイルスの感染者数が増え続け、100人間近となっています。

 

 

もし東京で感染爆発が起これば、東京と人の行き来の激しい札幌における感染者の増加数も、急カーブへと転じることになりそうな予感がします。

 

 

東京でロックアウトが実施されるかどうかは、札幌などの地方都市に住む我々にも大きな関心事です。

 

 

先日、多くの世代に愛されたコメディアンが亡くなられ、野球選手にも感染者が出るなど、国民全体に事態の深刻さが強く認識されるようになってきました。

 

 

日本国政府の緊急事態宣言は出ていませんが、既にそれに近い状況にあるようです。

 

 

世界に目を向けるとアメリカは中国の感染者数を抜き、欧米もイタリアを中心にパンデミックが広がり、医療崩壊と呼ばれる状況に陥った地域が広がっています。

 

 

人口一人当たりの病床数が高齢化社会の影響で、諸外国に比べて多い日本では、幸いなことにまだその段階には達していませんが、余裕がなくなりつつあることもテレビ等で報じられています。

 

 

世界中で政治家や有名人の感染事例も多く報道され、この危機は社会的地位や貧富に関わり無く、全ての人に迫る脅威であることが分かります。

 

 

これまでにも世界は戦争や飢餓などの危機を経験してきましたが、国籍、年齢、社会的地位に関係なく、世界中のこれほど広い層の人々に自身の「死」を予感させるような事態は思い当たりません。

 

 

私自身も自分の「死」について考えざるを得なくなりました。

 

 

そして、気づいたことについて今回のブログでは書いてみたいと思います。

 

 

以前から気づいていたことであり、そして最も大切なことは、自分は死ぬように作られているということです。

 

 

そもそも、人類が元々死なないように出来ていたならば、世代交代はありませんでした。

 

 

世代交代が無いならば、自然淘汰によってサルがヒトに進化することは出来ません。

 

 

死ぬように出来ているのならば、死ぬことを前提に「生きる目的」を考えなければならないということになります。

 

 

そして、「死」は現在の医療技術では全ての人に平等にもたらされる運命なので、この「死」を前提に考えることで、全ての人にとって共通の「生きる目的」が見つかりそうです。

 

 

確かに、世界に生きる人々は多様で、宗教や哲学、文化の異なる人々が存在します。

 

 

そして、何を信じているかによって死生観や人生観も多様です。

 

 

しかし、どのような思想の持ち主にも共通する「生きる目的」は存在すると思います。

 

 

それは、ヒトという種の存続と繁栄です。

 

 

この価値を否定する人間は稀だと思います。

 

 

思えば、我々の活動のほとんど全ては、この価値の実現のために為されているように見えます。

 

 

恋愛し、結婚し、子を育て、職場での活動は社会の誰かの生活を充実させ、社会全体を繁栄させるためのものがほとんどです。

 

 

そして、恋愛せず、結婚もせず、子は持たず、職場も持たない人の生活ですら、目的は共通しているように見えます。

 

 

先人たちも自覚は無かったにせよ、この目的のために生きていたのではないでしょうか。

 

 

現代日本を例に考えてみても、人口全体の80%以上の人々が百姓で、「生かさぬよう殺さぬよう」に武士によって統制されていた江戸時代に比べれば、ほとんどの人にとっては生きやすく、幸せな社会のように見えます。

 

 

その社会を変革し、現代社会に近い仕組みを作ったからこそ、明治維新は評価され、その時代の変革者は今でも人気なのだと思います。

 

 

彼らが評価される理由は、良い社会システムを構築したことにあります。

 

 

もし我々が良い社会システムを持っていれば、例え一時は天災や環境悪化、疫病の蔓延などで経済の悪化や技術の衰退、人口減少が生じても速やかな回復が期待できます。

 

 

そのための良いシステムとは、民主的で全ての人に社会参加の意欲があり、教育の機会が平等で人材が十分に活用され、人的多様性があって天災やパンデミックのような予測し難い事態にも強く、平等で人権が尊重されて、誇りを持って自分の社会的役割を果たすことの幸せが感じられる仕組みのことです。

 

 

このシステムこそが、お金や技術よりも、子孫に残すべき価値のある大切な社会資産だと思います。

 

 

今後も人という種が存続するのならば、今、この世に生きている人の数よりもこれから生まれてくる人の数の方が圧倒的に多いはずです。

 

 

「今」よりも「未来」の方が、我々が日々、維持・構築しているこの社会に関わりのある人間が多いのです。

 

 

未来の人たちの幸せを考えるということが、本当の意味で子供を大切にするということではないでしょうか。

 

 

そして、先人がそのようにして残してくれた現在の社会に感謝するということが、お年寄りへの尊敬の念に繋がるのだと思います。

 

 

より良い社会を作り、それを子孫に残す。

 

 

これが、私の考える共通の「生きる目的」であり、「生きている意味」です。

 

 

世の中には、経済的な理由で自分の子どもに十分な教育を施す事が出来なかったことを嘆く方がいます。

 

 

しかし、「種の存続」という目的から見れば、子を産み育てただけでも十分に価値のある人生だと言えます。

 

 

教育の不均衡は、改善されるべき積年の社会問題であり、親個人に押し付けるべき問題では無いはずです。

 

 

また、人生の中で家族を得て自分の子を残すことが出来なかったことを嘆く方もいます。

 

 

しかし、子を成すのは誰でも良いはずです。自身が為さなくても良いのです。

 

 

例えば、芸術家であれば作品を残し、後世の者がその作品によって幸せになれば、「種の繁栄」に貢献出来たことになります。

 

 

それ以外の職業でも、そのほとんどは社会の改善や、少なくとも維持に貢献しています。

 

 

趣味と言われるような活動でも、仲間やそれを喜んでくれる人がいれば、やはり種の繁栄に貢献していると言えるでしょう。

 

 

それぞれの役割を果たし、現在の人々もしくはこれから生まれてくる子孫の役に立っていれば、生きている意味があると言えます。

 

 

学びも究極的には、種の存続と繁栄のために必要なものであり、学校で学んでいる科目も将来的にそのために必要になる可能性の高いものを選んでいるはずです。

 

 

そのような観点で、私は今後の自分自身の仕事に向き合っていきたいです。

 

 

 

Written by Desaki