ホルコンマスターコウの虎視眈々 -6ページ目

新年、明けまして、おめでとうございます。

 

 こんばんは、コウです。

 

 例年になく、雪が少なくて助かっていますが、普通に、寒いです。

 

 それと、去年くらいから、

 SNS離れの方向もあって、活動も鈍くなっています。

 

 まぁ、冬眠ではなくて、充電の時期かとも思っているところです。

 

 どなたかに呼ばれたら、出て行くくらいが、

 本当は、ちょうどよいのかとも、たまに思います。

 

 さて、今回は、呼ばれたような気がしましたので、

 リブログと、個人の雑感でも書かせて下さい。

 

 以前からのテーマで、サンガ内での霊指導の問題の件です。 

 

 

 本来は、コメント欄などで、新年のご挨拶をするべきですが、

 個人の雑感で長くなっても失礼になると思い、こちらで書かせて下さい。

 

 犬さん、明けまして、おめでとうございます。

 

 昨年から、ボディ・アーマーのような役割を頂きまして、

 助かりましたし、救われたところもありました。

 

 呪われて病気でもするかなと思っていたのですが、

 お蔭様で、ピンピンとしております。

 

 新年のご挨拶とともに、昨年の件での感謝をさせて下さい。

 ありがとうございます。

 

 さて、本題になります。

 

 結論からになりますけれど、

 個人の自由は、尊重をされるべき、という話になると思います。

 

 ですから、大量の霊話も、霊指導も、霊感商法も、個人の自由です。

 

 それらについて、他人が、何らかの強制力を持って、

 辞めさせることは、悪になるかと思います。

 

 (霊感商法の場合は、被害者が出てくると、警察が捕まえます。)

 

 しかし、それは、個人の話であって、

 僧団(サンガ)では、別の話になるというルールがあります。

 

 この概念があるので、私たちなども、悩むわけです。

 

 ■ 個人論であれば、ある意味で、何をしても自由だと。

 

 ■ しかし、公的な話になれば、できないことが出てくる。

 

 例えば、今、とあるSNSなどで、

 プチ炎上をしているミニ教祖問題について、わかりやすく伝えるならば・・・

 

 近所に、魚屋さんがありましたと。

 

 その店内に、ぜんぜん関係のない魚売りの爺さんがいて、

 そのお店に来るお客さんたちを捕まえて、

 自分が持ってきた魚を、知らん顔で、売っているような話です。

 

 その魚屋さんには、断りもなく、

 自分のお客さんとして、釣っているような話です。

 

 そして、代金をもらうと。

 

 もし、そうした非常識なことをする爺さんがいたら、

 まず、その魚屋さんの店主が、注意をするかと思います。

 

 「あんた、私の店の中で、何をしているのよ?」って。

 

 そして、そのお店に来るお客さんたちも、紛らわしいし、

 「その魚は大丈夫か?」と不信に思って、抗議をするかもしれません。

 

 個人が魚を売るのは自由だが、他人の店の中では、

 「そんな非常識なことはするな!」と、怒られるかと思います。

 

 そのときに、その爺さんが、頑固に居座って、

 それでも、魚を売ろうとするならば、

 周りの人たちも、いつかは、エキサイトするかと思います。

 

 こうしたことが、ミニ教祖活動のようなことだと、考えるわけです。

 

 そして、その目的は、自分への崇拝や信仰であったり、

 金品であったり、たいていのケースでは、そこらへんでしょうか。

 

 こうした前提で考えたときに・・・

 

 前述の魚屋の店主や、その魚屋に通うお客さんたちが、

 その非常識な爺さんに対して、そんなことは止めてくれと頼んだり、

 ときに、怒ったりすることは、イジメではないとも考えるのです。

 

 正当性のある提案であったり、苦情になるかと思います。

 

 全国の信仰者さんたちが集まる稀有な空間で、

 非常識なことをしている人たちがいたら、普通、そうなるとは思います。

 

 また、問答無用で、「出て行け!」ではなく、

 「魚を売るのを止めて!」と言っている人たちが、過半数かとも思います。

 

 昨年からの統一教会の問題もあり、

 大量の霊話や、霊指導などで金品を得ている信者があるとなれば、

 幸福の科学も、同じような目で、見られることになりかねません。

 

 他のほとんどの信者さんたちは、そうした商売や商法をすることなく、

 真面目に、健気に、真っ当な信仰をされていることがあっても、

 誰かひとりやふたりの信者さんたちのために、誤解をされることも出てくるのです。

 

 「あ、幸福の科学も、統一教会と、同じことをしているやん!」って、言われるのです。

 

 残念なことは、大量の霊話や、霊指導などで、

 金品を得ようとされる人たちは、そうした責任を、考えてくれないかのようです。

 

 ■ 個人論であれば、ある意味で、何をしても自由だと。

 

 ■ しかし、公的な話になれば、できないことが出てくる。

 

 ここらへんの公私混同が続いている間は、

 どうしても、他の信者さんたちから、叱られることになるとは思います。

 

 私が言わなくなっても、他の誰かに、言われるようになり、

 その誰かが、言わなくなっても、また、次の人たちに、叱られると思います。

 

 逆に言えば、明らかな間違いについて、

 叱ってくれる人たちがあることは、ありがたいことかと思います。

 

 叱ってもらえなければ、いつまでも、気がつかないかもしれません。

 

 幸福の科学の信者さんたちを、ターゲットにするように、

 大量の霊話や、霊指導などで、結果的に、金品を要求した人生になれば、

 こちらは、超高確率で、深い、地獄行きかと思っています。

 

 ですから、そうならないために、

 個人的には、嫌われても、呪われても、

 言うべきことは言ったほうがよいと、そう思っていたのです。

 

 ちなみに、私などは、奥さんのほうの連れ子ですので、

 子育て歴=7年目くらいでしかありませんけれど、

 甘やかせば甘やかすだけ、子供は、ダメになると知りました。

 

 宗教でもそうで、間違いは間違いだと、きちんと伝えないと、

 誰かが、後悔をすることになると思います。

 

 反省をしたり、廻心をするのは、個人の自由ですが、

 それを伝えるところまでは、

 他のわかる人たちの「責任の一部」かとも思っています。

 

 相手のことを考えているので、ときに、厳しいことも、言わざるをえない。

 

 どうでもよい相手であれば、何も言いませんね。

 

 と、そんな雑感でございました。

 

 私なども、修行中の身ですので、考え方が未熟かもしれませんけれど、

 今は、そう思っています。

 

 以上です。

 

 ブログのほうは、参考になりました。

 

 今年も、よろしくお願いします。

 

 ありがとうございました。