新年、明けまして、おめでとうございます。
こんばんは、コウです。
例年になく、雪が少なくて助かっていますが、普通に、寒いです。
それと、去年くらいから、
SNS離れの方向もあって、活動も鈍くなっています。
まぁ、冬眠ではなくて、充電の時期かとも思っているところです。
どなたかに呼ばれたら、出て行くくらいが、
本当は、ちょうどよいのかとも、たまに思います。
さて、今回は、呼ばれたような気がしましたので、
リブログと、個人の雑感でも書かせて下さい。
以前からのテーマで、サンガ内での霊指導の問題の件です。
本来は、コメント欄などで、新年のご挨拶をするべきですが、
個人の雑感で長くなっても失礼になると思い、こちらで書かせて下さい。
犬さん、明けまして、おめでとうございます。
昨年から、ボディ・アーマーのような役割を頂きまして、
助かりましたし、救われたところもありました。
呪われて病気でもするかなと思っていたのですが、
お蔭様で、ピンピンとしております。
新年のご挨拶とともに、昨年の件での感謝をさせて下さい。
ありがとうございます。
さて、本題になります。
結論からになりますけれど、
個人の自由は、尊重をされるべき、という話になると思います。
ですから、大量の霊話も、霊指導も、霊感商法も、個人の自由です。
それらについて、他人が、何らかの強制力を持って、
辞めさせることは、悪になるかと思います。
(霊感商法の場合は、被害者が出てくると、警察が捕まえます。)
しかし、それは、個人の話であって、
僧団(サンガ)では、別の話になるというルールがあります。
この概念があるので、私たちなども、悩むわけです。
■ 個人論であれば、ある意味で、何をしても自由だと。
■ しかし、公的な話になれば、できないことが出てくる。
例えば、今、とあるSNSなどで、
プチ炎上をしているミニ教祖問題について、わかりやすく伝えるならば・・・
近所に、魚屋さんがありましたと。
その店内に、ぜんぜん関係のない魚売りの爺さんがいて、
そのお店に来るお客さんたちを捕まえて、
自分が持ってきた魚を、知らん顔で、売っているような話です。
その魚屋さんには、断りもなく、
自分のお客さんとして、釣っているような話です。
そして、代金をもらうと。
もし、そうした非常識なことをする爺さんがいたら、
まず、その魚屋さんの店主が、注意をするかと思います。
「あんた、私の店の中で、何をしているのよ?」って。
そして、そのお店に来るお客さんたちも、紛らわしいし、
「その魚は大丈夫か?」と不信に思って、抗議をするかもしれません。
個人が魚を売るのは自由だが、他人の店の中では、
「そんな非常識なことはするな!」と、怒られるかと思います。
そのときに、その爺さんが、頑固に居座って、
それでも、魚を売ろうとするならば、
周りの人たちも、いつかは、エキサイトするかと思います。
こうしたことが、ミニ教祖活動のようなことだと、考えるわけです。
そして、その目的は、自分への崇拝や信仰であったり、
金品であったり、たいていのケースでは、そこらへんでしょうか。
こうした前提で考えたときに・・・
前述の魚屋の店主や、その魚屋に通うお客さんたちが、
その非常識な爺さんに対して、そんなことは止めてくれと頼んだり、
ときに、怒ったりすることは、イジメではないとも考えるのです。
正当性のある提案であったり、苦情になるかと思います。
全国の信仰者さんたちが集まる稀有な空間で、
非常識なことをしている人たちがいたら、普通、そうなるとは思います。
また、問答無用で、「出て行け!」ではなく、
「魚を売るのを止めて!」と言っている人たちが、過半数かとも思います。
昨年からの統一教会の問題もあり、
大量の霊話や、霊指導などで金品を得ている信者があるとなれば、
幸福の科学も、同じような目で、見られることになりかねません。
他のほとんどの信者さんたちは、そうした商売や商法をすることなく、
真面目に、健気に、真っ当な信仰をされていることがあっても、
誰かひとりやふたりの信者さんたちのために、誤解をされることも出てくるのです。
「あ、幸福の科学も、統一教会と、同じことをしているやん!」って、言われるのです。
残念なことは、大量の霊話や、霊指導などで、
金品を得ようとされる人たちは、そうした責任を、考えてくれないかのようです。
■ 個人論であれば、ある意味で、何をしても自由だと。
■ しかし、公的な話になれば、できないことが出てくる。
ここらへんの公私混同が続いている間は、
どうしても、他の信者さんたちから、叱られることになるとは思います。
私が言わなくなっても、他の誰かに、言われるようになり、
その誰かが、言わなくなっても、また、次の人たちに、叱られると思います。
逆に言えば、明らかな間違いについて、
叱ってくれる人たちがあることは、ありがたいことかと思います。
叱ってもらえなければ、いつまでも、気がつかないかもしれません。
幸福の科学の信者さんたちを、ターゲットにするように、
大量の霊話や、霊指導などで、結果的に、金品を要求した人生になれば、
こちらは、超高確率で、深い、地獄行きかと思っています。
ですから、そうならないために、
個人的には、嫌われても、呪われても、
言うべきことは言ったほうがよいと、そう思っていたのです。
ちなみに、私などは、奥さんのほうの連れ子ですので、
子育て歴=7年目くらいでしかありませんけれど、
甘やかせば甘やかすだけ、子供は、ダメになると知りました。
宗教でもそうで、間違いは間違いだと、きちんと伝えないと、
誰かが、後悔をすることになると思います。
反省をしたり、廻心をするのは、個人の自由ですが、
それを伝えるところまでは、
他のわかる人たちの「責任の一部」かとも思っています。
相手のことを考えているので、ときに、厳しいことも、言わざるをえない。
どうでもよい相手であれば、何も言いませんね。
と、そんな雑感でございました。
私なども、修行中の身ですので、考え方が未熟かもしれませんけれど、
今は、そう思っています。
以上です。
ブログのほうは、参考になりました。
今年も、よろしくお願いします。
ありがとうございました。