監獄の誕生 / ミシェル・フーコー/田村俶 - 紀伊國屋書店ウェブ ...

 

 

 

 

ミシェル・フーコー『監獄の誕生』(新潮社)|伊藤聡

 

 

 

 

フーコーの『監獄の誕生』パノプティコン、ディシプリンとは ...

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

街、それは人がたくさん集う場所

商業地区では、多くの人がそこで働いて家路につく。

 

 

集住地域では、たくさんの人が密集して住む。

現代では、大規模な生産拠点ではないが

 

 

小規模の生産も行われている。

そこでも人が集まって働く。

 

 

 

日本では、地続きの地域の歴史を持つ国と

街という言葉で浮かび上がる光景が、まったく異なる。

 

 

御城プロジェクトというゲームがある。

御城が娘になって、城娘として戦う。

 

 

 

 

 

 

 

日本のお城は、日本人が考えているようなお城

でも海外のお城として、登場する城娘はだいたいが城塞都市

 

 

日本と欧州とで、街の概念が異なるのは

元々、成りたちが異なるからである。

 

 

日本でも、古代ギリシアを想像すれば

都市国家が思い浮かぶ人がいるだろう。

 

 

都市国家は、街は外敵から守るため必要性に駆られてできた。

異民族もしくは、近隣の人びとが

 

 

様々な理由で襲ってくるのが、常だった。

それは、主に飢え、もしくは金品・女性をかっさらう。

 

 

戦いに敗れ、街が征服されると

皆殺しか、奴隷として売り払われた。

 

 

そのような生死を分かつ理由をかけ、襲ってくる人々から

自分たちをいかに守るか、このために街は作られた。

 

 

だから欧州の街には、城壁の跡が残る都市が多い。

カルタゴは別名ハンニバル戦争、ポエニ戦役をローマと行い

 

 

最後は、ローマとの攻城戦で2年間、耐えた。

海外では、街という概念は厳重に外壁に守られたもの

 

 

そこではいきなり風のように現れて、襲ってくる外敵に

いつでも対処できないと意味がない。

 

 

日本では、そういう感覚が街の概念に存在せず

ただ人々が集住する場所、となんとなく思っている。

 

 

それは戦争の記憶、急に外敵が現れて

住民が皆殺し、奴隷に売り飛ばされる歴史的記憶がないからである。

 

 

戦争は、街の住人とは関係なくやっているものとして

捉えているために、日本の都市論はふわついている。

 

 

 

江戸時代、江戸にはたくさんの人が集まってきた。

後から来た人たちは、江戸の町はずれ、場末で暮らしていた。

 

 

どんどん人が集まってきたので

場末は、広がる一方だった。

 

 

日本史の研究者は面白いもので

その場末の研究をする人までいる。

 

 

 

外敵が急に襲ってきて、皆殺しや奴隷などの歴史的記憶がある

諸外国と日本とでは、街という言葉で、想起されることが異なる。

 

 

日本の街づくりは、都市工学の見地からもなされ

土木工学者などが関与している。

 

 

しかしそれでは機能性ばかりに目がいってしまって

街は無味乾燥し、人は乾いてしまう。

 

 

工学系ではない日本の都市論もどこかふわふわしている。

だから、海外の都市論の方が面白い。

 

 

だから日本の都市論の研究者は、日本より海外の都市論を軸にして

研究している方が、圧倒的に多い。

 

 

自分の仮説、現代では都市自身が監獄化しているのではないか

この疑念を都市論に組み込むならば

 

 

無機質で、ただ集住するだけの空間から

脱却しなければいけない時期に来ているという感覚を持つ必要がある。

 

 

山本理顕が述べるように、都市を細胞化させる視点も欠かせない。

もちろん東京一極集中は、止めさせないといけない。

 

 

それがうまくいって、分散化する方向に向かうことが

いづれやってきた時、人が集住する街の在り様を見直さざるを得ない。

 

 

人と人が交わるということは

確かに煩わしさを伴う。

 

 

しかし煩わしいからといって、人と人が

街で一切の関わりを待たない、その契機すらないとなれば

 

 

街で生きる人々は、精神を大きく病んでしまう。

他者が病んでいるのに、自分たちだけが病んでいないということは考えにくい。

 

 

 

むしろ、自分たちが精神的に病んでしまわないように

われわれは、常に「街」について想いを馳せないといけないのだろう。

 

 

そうすることで、<親密性>や<信頼>などが家族の中だけで

身体化されるのではなく、街の中でも育んでいくという形

 

 

家族、学校、町内、街、全体を含んだ中で

<親密性>や<信頼>などが、身体化されていくことが望ましいように思う。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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細胞都市