「抽象的な真理など無い、真理は常に具体的である」

ウラジーミル・レーニン

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

戦後の国体

 

 

 

久野収と鶴見俊輔は、明治憲法下の天皇制を

「密教と顕教」に例えた。

 

 

「天皇は神聖にして侵すべからず」との規定は

「現人神としての天皇」は、大衆向けの「顕教」

 

 

大衆を従順に統治、かつ積極的に

動員するための装置だった。

 

 

他方、明治の元勲たちは表向き「天皇親政」

実際は、実権なしの立憲君主国家として、明治国家を運用した。

 

 

これが戦前天皇制の「密教」的部分

美濃部達吉の「天皇機関説」は、これを解き明かしたもの

 

 

国家のこの根本構造を理解することが

エリートの資格だった。

 

 

しかし大正、昭和となり、大衆の政治参加の機会が増大するにつれ

顕教と密教の使い分け統治術は、崩壊した。

 

 

統帥権干犯問題が顕著であるように、政党政治家たちは

大衆向けの方便の論理にからめとられていく。

 

 

結果として、政党政治家より軍部のほうが「天皇親政」を

体現する勢力となって、国民の期待を集める。

 

 

この過程で、美濃部学説は不敬なものとして否定され

上杉慎吉らの天皇主権説がとって代わり、顕教が密教を呑み込む。

 

 

最終的に、対米英開戦やポツダム宣言受諾の

「御聖断」というかたちで、「天皇親政」は実現する。

 

 

明治国家体制の建前が完成した瞬間だったが

同時に、体制の崩壊の瞬間でもあった。

 

 

戦前のレジームの根幹は天皇制、戦後レジームの根幹は

永続敗戦、つまり「戦後の国体」

 

 

大衆向けの顕教の部分では、「戦争は負けたのではない、終わったのだ」

というように敗戦の意味が希薄化するように権力は機能してきた。

 

 

最も大きく寄与したのは、「平和と繁栄」の神話

補完する密教の部分は、無制限で恒久的対米従属主義者の志向

 

 

岸信介 「真の独立」

佐藤栄作 「沖縄が還ってこない限り戦後は終わらない」

 

 

中曾根康弘 「戦後政治の総決算」

安倍晋三 「戦後レジームからの脱却」

 

 

今日、永続敗戦レジームの中核者たちは、敗戦を内面化しているため

屈従していることを自覚できない。

 

 

顕教の部分で対米敗戦の帰結を無制限に受け入れているから

アジアでは敗北の事実を否認、可能としたのは経済力

 

 

この優位性が相対化されるに伴い

永続敗戦レジームは、耐用年数を終えた。

 

 

「われわれは負けてなどいない」という顕教が

抑えの利かない夜郎自大のナショナリズムとなって現われる。

 

 

永続敗戦レジームの主役たちは、「負け」の責任をとらず

「われわれは負けてなどいない」とすり替えた後継者たちなので

 

 

永続敗戦レジームの顕教の部分を否定することは

戦後レジーム総体の正統性を直撃し、実行不可能になる。

 

 

「歴史は失敗する。一度目は悲劇として、二度目は茶番として」

マルクス

 

 

開国から敗戦に至る日本近代史の過程は

被植民地化を逃れるため、あらゆる努力をして破局という悲劇の歴史

 

 

近代化のための二重性の装置の天皇制は

巨大な役割を果たしたが、自壊した。

 

 

「偉大な出来事は二度繰り返されることによってはじめて

その意味が理解されるのである」

ヘーゲル

 

 

「国体」は二度死なない限り

その意味を理解できないのかもしれない。

 

 

 

「戦後の国体」の成立過程

 

 

「国体」は、永続敗戦という代償を払うことによって

敗戦を乗り越え、敗戦に勝利

 

 

豊下楢彦は、象徴としての天皇制を存続させ、平和憲法(米軍駐留)

という戦後レジームの二大支柱はワンセットなのが

 

 

昭和天皇こそが、共産主義勢力の内と外からの脅威に怯え

米軍駐留を自ら切望し、具体的に行動したと推論する。

 

 

吉田茂は、「五分五分の論理」の気構えを持ち、準備していたが

昭和天皇が、吉田やマッカーサーを越して、米軍駐留を望んだ。

 

 

望むだけの軍隊を望む場所へ、望む期間、駐留させる権利を

米軍に”保障”する権利として結ばれ、

 

 

その過程で、沖縄の要塞化も決定、天皇にとって安保体制こそ戦後の「国体」となり

永続敗戦が、「戦後の国体」へと変化した。

 

 

『英霊の聲』で三島由紀夫は、昭和天皇の戦争責任を真正面から捉え

「平和と繁栄」の酔う戦後日本の精神的退廃の元凶をそこに求めた。

 

 

「国体」とは、米国を引き込み、敗戦を乗り越え、自己の維持に成功すること

「国体の護持」とは、米国によって支えてもらうことが、究極の意味合いである。

 

 

 

 

 

敗戦を否認しているというのが、日本のマルクス・レーニン主義者

白井の主張の根幹なのだが、そこが腑に落ちない。

 

 

なぜ米国とわざわざ戦ったのかという問いを立てる言論人は多く

負けたことを認め、米国は国際条約違反じゃないのかという人も多い。

 

 

あ~したらよかった、こ~したらよかったという反省も多いが

戦争に負けたことを認めない日本人がいるのかな。

 

 

 

マルクス・レーニン主義者じゃなくても

昭和天皇の戦争責任を追及する左派言論人も多い。

 

 

最終的な目標は、皇室の廃止

つまるところ、神道や仏教の廃止

 

 

でもそれは神社仏閣を破壊して回る行為につながるから

現代の日本人の多くが、嫌がると思うのだけれど

 

 

 

 

 

 

 

永続敗戦論―戦後日本の核心(atプラス叢書) [単行本]

 

 

 

 

現代日本の思想

 

 

安保条約の成立―吉田外交と天皇外交(岩波新書) [新書]

 

 

英霊の聲