「具体的なものを抽象的なものにすり替えることは、

革命における最も重要かつ危険な罪過の一つである」

ウラジーミル・レーニン

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

国体とは何か

 

 

「里見は、(略)国体の核心とも言うべきものを赤裸々に抽出してみせた。

端的に言えば、犠牲を強いるシステムとしての国体である」

 

片山杜秀  『国の死に方』

 

 

里見の理論は、国家を二種類の社会によって

構成されるものとして、とらえる。

 

 

一つ目は、各人が手前勝手な欲望・欲求を追求する、「利益社会」

「利益社会」では、社会の外部からの脅威に無防備であるため

 

 

国家存続のために、自己利益を捨て、国家・社会を

守ろうとする動機が、国民に湧く必要がある。

 

 

それを作り出すのが、最高統治者にして謙虚な君主(天皇)

に対する臣民一同の感激 

 

 

この感激が高まって、「国体」という素晴らしい世界を

命を捨ててでも護りたいという動機が生ずる。

 

 

「犠牲を強いるシステムとしての国体」

のメカニズムは、これ

 

 

この感激が、敗戦によって打撃を受け

その中心には、昭和天皇の言動がある。

 

 

渡辺清は、日本全体に憤り、「感激で満たされるに値する世界」など

まったく存在していなかったことを見出す。

 

 

「犠牲社会の方の国体はきれいさっぱり拭われた。

その意味で国体は維持されなかった。ひとつの国は確実に死んだ。

 

 

「国体より重い命のない国」から

「人の命は地球より重い国」へ捻転した。

 

 

国家が国民に死ねと言えない国。

新たな犠牲の論理も与えられない国。

 

 

犠牲社会は少なくとも表向きには

片鱗さえ存在を認められない。

 

 

利益社会だけしかない。

それはそれで素晴らしい。

 

 

が、その国にはやはり死せる国体のあとの

とてつもない空白がある」

片山杜秀

 

 

ポツダム宣言の内容が、この空白を作り出したのではないから

その原因の議論には、納得できない。

 

 

再軍備、潜在的核武装能力、軍国主義の遺産を秘かに活用しようとしていて

戦後日本の構造的腐敗は、ますますひどくなっている。

 

 

「犠牲のシステム」としての国体は死んだが

永続敗戦レジームの前提により、誰も犠牲にする道理は成り立たない。

 

 

敗戦の責任を取らず、敵国に取り入り、敵国の軍隊駐留を望み

自己保身を図った人物とその取り巻きたちの末裔が要求する犠牲は、犬死

 

 

だから犠牲を求める身振りや犠牲を払う行為さえ

常に「とてつもない空白」に浸食されてしまう。

 

 

岩泉敬は、戦後日本社会を「愚者の楽園」と批判したが

その悲壮感あふれる国士然とした姿は、滑稽そのものだった。

 

 

それは、犠牲を強いる内的根拠を持たない国

「愚者の楽園」を維持することに加担した共犯者だったから

 

 

永続敗戦レジームの主導者たちは、「新しい国体」に依拠し

再び「犠牲のシステム」を構築しようとしているが、そこに何の「感激」もない

 

 

 

国体の勝利

 

 

「国体」とは何であるのか

終戦間際で、はっきり姿を現した。

 

 

8月9日にソ連参戦、二発目の原爆投下によって

「御聖断」によって、ポツダム宣言が受諾される。

 

 

当時の指導者層は、犠牲者の数を抑えることを考えず

できるだけ多くの国民の生命を守ることに、無関心だった。

 

 

戦争継続、本土決戦は、「国体護持」を危険にさらす予測があり

ドイツは「本土決戦」を実行、政府そのものが消滅、がそう。

 

 

(陰謀論が入るので中略)

 

 

国体の本質は、「国体を否定するもの=共産主義者

=左右を問わない革新主義者」という定式

 

 

国体とは、革新・革命の絶対的否定

国体護持の敗戦は、革命に対する勝利

 

 

核攻撃は、革新が天皇制の支配層を包囲する中で

国体が逆転勝利をおさめる契機としてとらえられ

 

 

日米の共犯関係を根底とする「戦後の国体」は

広島・長崎で起動し、すでに始まっていた。

 

 

何をなすべきか

 

 

戦後の国体を強制的に外からの力で破壊するのは

福島原発事故だから、内側から破壊しなければならない。

 

 

3・11以降「各人が自らの命をかけても護るべきもの」を

真に見出し、合理的な思想で確信へと高められたなら

 

 

知的および倫理的な怠惰を燃料としている

戦後の国体という怪物的機械は止まる。

 

 

 

 

 

エピローグはつまんないから、これで終わり

なかなか面白い曲芸

 

 

どうしてもマルクス・レーニン主義から

暴力だけを抜き取ることができない。

 

 

自分たちの暴力だけを正当化し

かつ他の日本人にはそれを禁じる。

 

 

これはあまりに難しく、魔術的で

自らに自己暗示をかける外ないのかも

 

 

次からは、この白井の主張に沿ったかたちで

日本のマルクス・レーニン主義の考察をしていくか

 

 

やってもあまり意味がないのは、もう彼らは戦えないから

だって後期高齢者ばっかりで、やれることと言えば

 

 

介護施設で、介護の職員さんに暴力をふるうぐらい

気が進まないから、やらないかもしれない。

 

 

 

 

 

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他策ナカリシヲ信ゼムト欲ス : 核密約の真実