4月17日


父の命日

47歳


体調が優れなくなったのは

私が中学生の頃から


高校一年生になったばかりの日

体調不良で

(かかりつけ病院🏥

県庁所在地にある病院)


主治医その日は

家から近くの系列病院診察の日だったらしい


診察中に心停止


その日

バス会社のストライキの日

高校には

同じ地区の同級生の家族が車で送迎してくださった


学校帰り友人宅から

歩いて自宅へ


自宅近くで

母まーちゃんが

スーパーバイクで

父親の実家へ


『妹が帰宅したら

一緒に病院の来なさい』


それが初めての心停止した日



その後復活して退院


仕事も変えた


何回か体調不良

検査入院


看護学校一年生

12月祖母(同居母方)他界


祖母の葬儀後

かなり辛そうだった



祖母の葬儀前から

親族が家に集まっていた


父親の心臓に負担が大きかったらしい


体調不良


葬儀翌日


『(看護学校)戻る前に

病院に連れてってくれ』


苦しすぎて

助手席で身の置き所がない感じ


喉が乾いて

真冬なのに

コップに氷を入れて

口に含んでいたのを

はっきり記憶している


入院後

心カテetc


看護学校からは

それ程遠くない病院

時々面会に行った



ある日

心カテ後に面会した


父親にしては珍しく

弱音?


あちらこちら

身の置き場がない様子


『擦ってくれ』


『違う(場所が少し)

タッチの仕方が違う』


体の向きを変えてはいけない時間帯

・・・

父親のそういう姿は

殆ど看たことが無かった



亡くなる前に

2回位

心停止


寮に帰れず

母の妹宅に泊まった



ある日

授業が終わり

夕飯を食べ終わった頃

母から寮に電話


クラスメートの自転車を借りて病院へ


蘇生して

戻った


妹は高校生

バスで1時間かかって帰宅

私 自転車で寮へ戻った


寮に戻って直ぐに

再度母から電話

まだ寮の門限前


許可を得て置いてあった

父親の車で病院へ


蘇生中


妹はバスに乗った後だった

近所のお姉さんが

バス停で妹を待ち

病院へ


蘇生しても戻らない


母が

妹が到着するには時間がかかるから・・・

蘇生はやめて頂いた・・・



寮の友人に電話して

泣き腫らしていたら

ドクターに呼ばれた


解剖をお願いしたい

お母さんからの条件が出された


その一つ

私が

解剖に立ち会うこと


授業として

解剖2回見学していた


主治医に説得させられた

解剖

その後の処置

旅立ちの支度


解剖のサボートしたスタッフさんと最後まで・・・


その後

病院のワンボックスカー

私も父親と同じスペースに



車窓からは

満開の桃の花🌸終盤を目にしていた


父親の車は

父の仕事仲間が運転してくれた

『◯◯◯ちゃん(私の名前)

ガソリンが無かった

ヒヤヒヤしながら

病院から乗ってきたよ』


『はい、時間帰宅するとき

ガソリン入れる予定でした』


今のように

ガソリンスタンド

遅い時間は閉店してるのが普通の時代