木を拾う。 | FOXPILL CULT official blog

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ぽ。西邑が書いています。

 

最近、毎日のように
木の枝を拾っている。


毎日といってもまだ3日目。


都会は意外と枝が落ちておらず
あってもまるで落ちていることが当たり前のような
髪の毛のように細い枝ばかり。
理想にまるで近づけない。

大切なのはこれほどまでに太く生き生きとしているにも関わらず
偶然何かの因果で大地に墜落してしまった肉体。
の骨であること。

だから決して生きた木の枝を折ってはいけないし
そもそもモラルを犯したところで偶然は手に入るものでもない。

偶然に見捨てられた意図的な背徳。
結局そんなものはつまらなくて飽きてしまうのだろう。

 


そうやって毎夜毎夜の帰り道、
木の枝を拾うという行為を続けていたら

まるでそれは、それはというよりそれこそが
空き箱を頭に深く被りその中で社会を築きあげるような
奇異な諦念と高揚感を伴う危うい行為だと感じ始めた。


己の半径30cm。風の翳り。


奇異というものは不思議で
そこに取り込まれれば取り込まれるほど
箱の中で思想を練るような孤独感と安心感が周囲を包むようになる。

30cm四方の独自国家。



箱男という安部公房の作品を読んだことがあるだろうか?




おれはない。





-完-




起。


というわけで明日はFOXPILL CULTの撮影。
新作です。

新カメラ導入後初!!!!!

今ひたすら舞台美術を製作しています。

コンテを書けば書くほどアイディアは生まれてくるし
歌詞にも反映されていく。
本公演前みたいなテンション。

開始まであと12時間!!

 


明日撮影する曲も収録されるであろう
新作の核心部分には
モリッシーとの共同プロデュース曲も沢山あるのだけど
俺の中でもこのバンドの在り方というか
向き合い方に大きな変化があって
確信めいたものが生まれてきて。

 


ふなもっさんが演奏陣のリズムを統括してくれて
高澤くんがまた別の視点から社会的な発破をかけてくれて
俺は趣味で木を拾っている。

俺達がこの確信を、
奇跡を産むかの如く形にする為には
自分達の言葉でどれだけ伝えて
どれだけ一人一人が自分自身の行動で提示できるかが
物凄く大切で。

もちろん木を拾うのも大事で。

 


きっとそれは歴史に証明されてしまうから
木の枝を拾っている場合じゃなくて。

 


まじ木の枝を拾っている場合じゃないんだけど
もう拾っちゃったし!!!!!!

 


拾ったぞーーーーー!!!!!!!!!!!!!!!

(おでんおでんおでんおでん!!!)

わりと好みの木も見つかったし
明日、撮影がんばってきます。


追記:
今日は書けなかったけれど
次こそは(もしくは次の次こそは)
8/22にやった新曲とか
アルバムのコンセプトをちょっと話せたらなと思ってるよん。
またね。


西邑