というわけで、映画「MW―ムウ―」の試写に出かけてきたフヂヲ。
結論から言うと、
びっくりするくらいつまらないから、
公開されたら映画館に見に行く予定だったというヒトは、予定を変更して、
TSUTAYAで「SAW」か「JAWS」か「北極のナヌー」あたりをレンタルしてお家で過ごすか、
幻のムー大陸でも探しに出かけたほうがよさそうよ。
って、別にフヂヲはこれらの映画が特にオススメってわけじゃありませんけど。


それにしても、

タダ(無料)の試写会で良かったよ。
もしお金払ってたら、
金返せー!!
ってな勢いだったね。
ま、試写会じゃなかったらそもそも行ってないんですけど。
でももし試写会に行けてなかったら、
悔しくて、ヤケクソで映画館に足を運んでしまう、
という可能性もあったわけで、

そういう意味でも、試写会で、ほんっとうに良かった、

と心から思う、どこまでも狭小な心らしきものを持ったフヂヲ。
でも、だからこそ、フヂヲは、

試写を見てしまった者の使命として、
この映画を猛批判するのである。
つまりこれは、

見て見ぬフリをして素知らぬ顔で素通りしてしまうのが大罪であるような気がしてしまうほどの、

殺人的につまらない映画なのである。

まず、無駄に長い。
129分って、あんた。
フヂヲの2時間と交通費(←結局お金…)を返して!!
って叫びたいくらいだよ。
ま、フヂヲの人生の持ち時間になんて元々何の価値もないから、
ムウをタダで見せて頂けた分だけ、無駄にならなかったって言えるんですけど。
それに、こうやってせっせとブログを更新していることが、
もうこの上なく、何よりも時間の無駄なんですけど。
でもいいの、自己満足の使命感だから。

で、そんな無駄に長いムウは、

冒頭からして、ダラダラ長い。
突如挿入される状況説明シーン、要らん。
大して迫力ないカーチェイス(厳密には、カーがトレインをチェイス)、要らん。
玉木宏が人を殺すときの大袈裟すぎる演出と無駄な会話、要らん。
スピード感も緊迫感もない。
もっとチャッチャカチャッチャカ、ストーリーを運んでほしいものである。
ってか、もしかしたら、冒頭のバンコクでのシーンは、

俳優たちの余裕のある演技やゆったりとしたカメラワークで、

登場人物の感情の動きやその人となりを丹念に描く、
という意図があったのかもしれん。
だとしたら、その意図に全く気づかず、
何これ?やる気あんの?
と、1人でポカーンと口を開けていたフヂヲって、バカ過ぎますけど。
ま、とにかくそういう感じで始まるムウなんですけど、
バンコクのシーンが終われば、そこまで冗長的ではないのでご安心を、

と言いたいところだが、そうは問屋が卸さない。
何のためにいるのかよく分からない山本裕典や教会の首の長い女の子などが出ている時点で、
十分ダラダラしてますもの。
だって本当、ストーリーは単純なんだから、

登場人物少なくして、無駄なシーンなどをどんどん省けば、

もっと短くできたわよ。
ま、色々な意図があって敢えて、わざと、この長さにした(なった)んでしょうけど。
その意図たちに全く気づけないフヂヲは…以下略。
でもね、フヂヲは、映画って、短ければ短いほどいい映画、

と決めつけてるフシがあるの。
だから、長い映画に対しては、厳しいのよ。

ま、面白けりゃ、長くても全然構わないんだけどさ。


次に、フヂヲがちょっと、と言うか、

激しく期待していた、萌え萌えシーンが、

なかったということ。

激しく残念であった。

このシーンを無くすなら、映像化する意味あったの?

というほどですらある。

原作にあったはずの、と言うか、

(フヂヲの間違った記憶では)作品の主要テーマであったはずの、

主人公二人のもっと深い関係が、

映画では完全にスルーされている。

がーん。

これだけ無駄に長いくせに、

(フヂヲにとっては)いちばん大事なところを省略するとは、

一体どういう了見だい?

あり得ん。

でもね、まあ確かにね、

事前のムウの宣伝文句などで、たとえば、

「禁断の愛のかたち」とか「主演の二人の体当たり演技」とか、

そういうのはなかったのよね。

だから、薄々は、勘付いてはいた。

でもねー、ここまでバッサリといかれると、

怒りや呆れや気持ちいいを通り越して、

もはや何とも思わんよね。

原作の二人とは別の人物たちなのね、きっと。

ま、熱い男の友情以上シーン(ハード版)の代わりに、

熱い男の友情シーン(ソフト版)が展開されたわけなので、

ほのめかす程度が好きなヒトならば、

じゅうぶん萌えれるであろうとは思うけどさ。

でもこの程度の関係性じゃ、神父の葛藤が描き切れんと思う、フヂヲは。

実際、全然、葛藤してないように見えるもん、この神父。

玉木宏にボートから突き落とされる瞬間まで、

何も考えていなかったんじゃなかろうか。

っていうか、もしかしたら、最後の最後まで、何も考えていなかったんじゃなかろうか。

ずっと同じテンションだし、

なんだかボケッとしてる、という印象。

あの不死身神父・・・。

ま、それならそれで別にいーんだけどさ、

私は苦しんでます、みたいな神妙っぽい顔しつつ、犯罪の片棒はしっかり担ぐから、むかつくー。

しかも、その犯罪の片棒の担ぎ方が、この上なく中途半端だから、余計むかつくー。

原作の賀来神父はもっと大胆だったわよ、いろんな意味で。

あ、でも、原作とは別の人物、別の人物・・・。


ところで、これだけ「原作原作」と大騒ぎしてるくせに、

実際のところ、原作読んだのなんて百万年くらい昔なので、

曖昧すぎる記憶しか残ってないフヂヲなんですけど。

そんなのいつものことなので、どーでもいーが。


そして、全体的に言えることなのだが、

音楽とか映像のエフェクト(?)とかが、無駄に大袈裟。

全然大したことない出来事が、淡々と起きてるだけのシーンで、

やたらと仰々しい音楽が流れるから、

もう、白けてしまうフヂヲ。

ヒトが死ぬシーンでは、

いちいちスローモーションになり、画面がガチョ~ンばりに揺れる(?)から、

もう、ハイハイって感じ。

石田ゆり子が死ぬ場面なんて、

バイオハザード(5)の、

You Are Dead Continue? Yes or No

のシーンかと思ったよ。

コンティニューでいいからさっさとして、的な。


というわけで、フヂヲにとっては要らないものが過剰に肉付けされ、

フヂヲにとっては必要だったものが見事に削られた、という、

フヂヲにとっては残念な作品でした。

所詮、フヂヲにとっては、なんですけど。

でも、ま、たぶん、大ヒットにはならないと思う。

って言うか、こけるかほりのプンプンした映画でした。


フヂヲのdear_diary@y.city-ムウムウ