今朝早くにチャイム。隣の隣の奥様。
この方は、お寺の集金や手伝いなど伝えに来る人なので、お寺関係かな?
なんだろう?と、門にでると
「今朝、おばあちゃんが亡くなったので、駐車場を貸してほしい」
とのこと。
あまりにも突然だったので絶句した。

ほかにも今日、駐車場を貸してほしいと前々から依頼があったので、
「車がはいるかもしれませんが、どうぞご自由に使って下さい」
忙しさにかまけて隣人のことなどすっかり忘れていた。

94歳のおばあちゃん。隣の外科医の親戚でこちらも資産家。
おばあちゃんというより、あばあさまと呼ばせてほしいくらい上品な方。
腰が曲がるまで170センチ近くの長身でほりの深い顔立ちは、外人ぽい。

今日こられた次女さんが養子を迎え家を継がれている。
この方も175センチの長身。ロシア人のよう。同じく上品なお方。

夕方、数珠を持って一人でこのおばあさまのお悔やみに行った。
綺麗なお顔だった。

娘さんから話をきくと、
やはりうちと同じ老健で高熱をだし、系列のいろう推奨病院に搬送されたとのこと。
言うまでもなく、いろうを勧められ、いろうを造設しなければ、転院してくれとのこと。

うちの近くの救急病院に転院して、二月半闘病とのこと。

「いろうにしなくて良かったです。」
と、私。

うちの時は、残念ながら胃ろうにしなければ、転院してくれとの言葉はなかった。
この言葉をすぐに言ってくれていたら
「遠いし今すぐ、転院しまっさ!!!」と微笑みながらいったのに。残念でならない。

70近い娘'さんは、「いろうを選択しなくてよかったのか・・・」まだためらいは、あったよう。
「自然のままが一番ですよ」と私的意見を述べた。

高齢者の末路は、みな同じような感じだろうか。
うちの父も最後の三日間は、病院へ。死因は、肺炎による呼吸不全。

入院したその日は、炎症値も低く発熱もなし。

びっくりするほど、あっけない別れだった。

あまりにも突然だったので、ほんとうに父は、死んだのかと今でも思う。
モニターも部屋には置いてなかった。あれを見ていたら真っ直ぐになったのを確認したら、このもやもやは、はれていたのに。

娘さんに聴くと、「うちも部屋にモニターなかったです。」
ナースステーションで管理して当直の医師が部屋に来たとのこと。
うちと同じく心臓マツサージもなかったらしい。

うちの母の時は、延命治療も明確にされていない時代。
でも心臓マツサージと電気ショックはしてくれた。60すぎで比較的若かったからか?

父のときのあの主治医。父が逝くの待っていたような感じにとても嫌悪する。

この娘さんも同じような事を言っていた。
主治医は、早朝呼び出されもせず、定刻どおりに出勤。
簡単な挨拶のみだったそう。
それからすぐにおばあさまは、自宅に無言の帰宅で、
うちに娘さんが「車を置かせて・・・」と来たようだ。
病院から、おばあ様を搬送してきたのだろうか。

あまりにも予想してなかったので悔みの言葉も見つからず。

明日から隣組の手伝い行ってきます。みな寡婦さんばかりで男手がない。
テントの撤去が、できるかな。

私が一番若いのだか、マッサージの人に痛められて左手が動かない。
若いのに全然、動かないと隣組のおばさまたちから、ひんしゅく買いそう。怖い。