姉がうちの隣に家を新築し、引っ越してきたのは、確か2000年になる寸前の12月の年末だったと思う。
新しい年を新居でと。

一月に引っ越しすれば良かったのだ。たった何日かの違いで固定資産税が一年分丸々損をした。

姉が越して来た当時は、まだ父も脚を骨折しておらず、うちの広いお庭を好きなように毎日縦横無尽に、好きなように動き回っていた。健脚だった。
そして認知症の進行も緩やかだった。

五月には、紫外線でサンダルの型が、くっきりつくほどだった。家の中でじっとしてる事は、まずなかった。

父が脚を骨折し、庭を動き回らなくなって、庭がすごい草だらけになった時、父がどれだけ歩き回っていたのかを改めて知った。

日が落ちて来ると、ようやく家の中に入って来る。毎日がそんな感じだった。

ただ、自宅の屋敷内で動き回っていたので、どこかへ遠く徘徊するということはなかったのは、幸いだった。

うちには、とても大きな渋柿の木が、
あるが、その木に昇ったり。ブロック塀を越えたりとアクティブぶりに驚かされた。


最近になって姉から聞いたのだが、
ある時、姉の家の坪庭に面する、はき出し窓から、突然父が入って来たらしい。

私や姉は、そこから結構出入りしているが、床がとても高く家に上がりづらい。

突然訪れた父の手には、動物ビスケット。

その頃、認知症状が出て10年ほどたっていたが、どこまで認知出来ていたのだろうか疑問なのだが、
そのビスケットは、チビちゃんにあげる為に持って来たのだろうか?

それとも、手ぶらで人のうちに行くのが気がひけたのか?
姉と一緒に食べようと思ったのか。

父は、一人で、さみしかったのだろう。

私が父の相手を十分してやれず、いつもほったらかしにしていたのでそんな話を聞くと、可哀想になって来た。


母が亡くなってちょうど一ヶ月後の19年前のクリスマス。
前年に亡くなられた逸見政孝氏のドラマをやっていた。

母と同じ胃がんだった。
逸見さんが手術をした時、母と重ね合わせ祈るような気持ちで快復を祈っていた。母も同じ気持ちだったと思う。


姉は、当時ちょっと離れた違う市のバルブ期に購入したマンションに住んでいた。

生まれたばかりの姪のクリスマスに私と父を呼んでくれた。

すると、父は照れ隠しなのか、
『これお母ちゃんから預かってた。』と、お金を姉に差し出していた。
びっくりした。
父は、そんな気配りをする人では、なかったから。

母から預かっていたのではなく、正真正銘、父のお金なのだ。

認知症は、本来の自分がでるというが父の優しい別の顔も垣間見る事もできた。

また、別のおりにもチビちゃんにお金をにぎらしたり。

まあ、私と比べて姉には、優しい父だったけど。

25日で母の月参りも終わり、さっき来年の父親の月参りのお金をお寺に納めてきた。

【常斎じょうとき】
と言って、故人の毎月の月命日に、住職にお経をあげてもらう。
その一年分のお金をまとめて年の暮れお寺にもっていく。


お正月の花をすえて、お墓参りも済ませてきた。
最近はめっきり墓参りの回数も減ってしまった。

ちょうど、お墓で近所の同級生のお母さんと会った。元々とても、ちっちゃいおばちゃんだったけど、歳をとってより小さくなっていた。

そちらの息子さんも、まだシングルなのでちょっと安心だったりする。

photo:01


孫の一歳の誕生日。姉のマンションで誕生会。
この頃の父は、認知症になってすでに五年ほどたっていた。
一般より歳をとったおじいちゃんだったが、何とか孫の大学入学まで生きていられてよかったと思う。

(写真から写メをとったのでぼやけている。)


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