【カブトムシの夜】

 


 

夏休みがもうすぐ終わろうとしていた。

 

小学校1年生のオレはあせっていた。
カブトムシとクワガタを捕まえることに命をかけていた。

しかし一匹も捕まえられずに、暑い毎日が過ぎていっていった。


 

その頃オレは長崎県の諫早市福田町という所にあった

県営住宅に住んでいた。
住宅がダンダン畑のように存在する山のてっぺんにオレの家はあった。

家の背後には2階建てぐらいの高さの崖があり、

そこを登って行くと目の前にお墓がぎっしり並んでいた。

お墓の一角に入っていくとある場所に3メートル位の木が一本あり、

その木の真ん中ぐらいに穴が開いていて、そこから樹脂がいつもたれていた。


 

「朝早く来たらそこにカブトムシがいるぞ!」

近所のおじさんが教えてくれた。

オレは夏休みの間中、ほとんど毎朝そこに行った。

しかしオレの頭で想像した光景に出くわしたことは一度もなかった。

朝の涼しい光の中で、木の穴を中心にカブトムシやクワガタや蝶々、

カナブンらの虫たちが集まっている夢の光景には。

 

虫はそりゃあたくさんいた。ヘビやトカゲにもしょっちゅう出くわした。

 

ある夏の晩だ。

玄関の上の曇りガラスに巨大な蚊が張り付いていた。

それぞれの足が10センチぐらいあり、広がった様は英語のXのようだった。

あれに刺されると日本脳炎になるよ、うちの母親が言った。

しかしその後、母親は殺虫剤で退治するでもなく

その蚊はそのまま2,3日そこに張り付いていた。

 

また別のある晩だ。

夕食後、家族全員で電気を消してテレビを観ていた。

オレは何かの用事で台所に行った。電気はつけっぱなしだ。

流しやテーブルの上にはまだ洗ってない食器が置いてある。

するとその上で十匹ぐらいの黒い虫達がカサカサと動いていた。

一瞬思った。

カブトムシだ!!

次の瞬間、虫たちは一斉に羽ばたき、

オレは顔を引きつらせて台所から必死に逃げた。

ゴキブリの軍団だった。

 

また別のある晩だ。

またまた家族で電気を消してテレビを観ていた。

オレはテレビを観ながら大きくのびをして、そのまま後ろに寝そべった。

その伸ばした手の中指の先を、何かが挟もうとしている。

一瞬思った。

クワガタだ!!

ゆっくり頭を手の方向に向けてみた。

するとそこには20センチぐらいのあずき色のムカデが、

今まさにオレの指を後尾のはさみで挟んでいる所だった。

ギャー!!手と共に飛び起きた。

その後は家族全員でムカデ退治が始まった。

ムカデは夫婦できているから2匹退治しなければ

片方に復讐されるということをその時に父親に聞いた。

無事退治できたかどうかは忘れたが、その時のムカデに

中指を挟まれていた感触だけは今でもはっきり残っている。


 

当時わが家は当然ポットン便所だった。

便器をまたいでいると目の前に何かしらの虫がたいがいいた。

だいたいにしてダンゴムシが多かった。

べんじょ虫というオレの始めての作詞作曲の名曲が生まれたのもこの頃だ。

「べんじょ虫、べんじょ虫、便所に並んだべんじょ虫~」


 

虫と共存していたわが家だったが、

カブトやクワガタにはめったに出会えなかった。

確かその頃からだったのじゃないのかな、

市内のデパートでその2匹が売られるようになったのは。

小学校1年生のオレにとってそれはもちろん買ってでも欲しい物だったが、

何かが間違っているような気がして、結局は親にせびることはしなかった。


「セイジ君!カブトムシを捕りに行こう。」

 

夏休みが終わる寸前のある日、隣に住んでいたおばちゃんが

オレに声をかけてくれた。

オレはどういう返事をしたか憶えてないが行った事は確かである。

ただ隣のおばちゃんと一緒に虫捕り?という事にとまどった感じは覚えている。

だけどそのおばちゃんには中学生か高校生ぐらいの

あまり話しはしてくれないけどきれいなお姉さんがいて、

そのお姉さんも一緒だったのは嬉しかった。

 

二人に連れられて高原のような場所を歩いた。

山が落ちていくきわには別の山がありその向こうにまた別の山がある。

風景がずっと向こうまで続いていて、それにつながる道を

オレは常に二人の先頭を走った。

 

そろそろ日が傾きかけた頃、道の片側に垣根が並ぶ場所に連れてこられた。

その垣根を見るとびっくりした。

信じられないくらいの数のカブトムシが群がっていたのだ。

その垣根の向こう側には麦わら帽子をかぶったおじさんが

鍬を持って立っていて、こっちに笑顔を向けていた。

 

オレは夢中でカブトムシを捕まえた。

一匹ずつ木からバリバリはがしながら持ってきた箱の中に何十匹もいれた。

連れてきてくれた二人の笑顔はオレの目の前までやってきて

クシャクシャだ。

帰り道はよく憶えていない。きっと興奮していたのだろう。


その後の記憶はいきなり家族とちゃぶ台を囲んだ夕食の風景となる。

オレの興奮はメシを食いながらも続いていた。

億万長者になった気分だった。

あれほど捕まえたかったカブトムシを何十匹もいっぺんに捕まえたのだ。

箸を持ったオレの脇にはカブトムシが入った箱が置いてあった。

メシの最中もカブトムシ達は箱の中でガリガリザワザワと

激しく動いていてうるさかった。
狭い箱の中でぶつかりあいながらきゅうくつそうだ。

オレはちょっとだけ箱を開けて中をのぞいてみた。

その瞬間だ。

隙間から、すべてのカブトムシ達がすごい勢いで連なって飛び立ったのだ。

それは黒い渦となって家の天井の電気を中心にまわりだした。

恐怖の風景だった。

父親がすばやく網戸を開けると、一匹残らず窓の外の夜に飛んでいった。
ちゃぶ台の横で箸をもったまま呆然とするオレを残して。

小学校1年生のオレの夏休みの終わりの出来事だった。


 

今でも不思議に思う。

 

カブトムシが群がっていたあの垣根はなんだったのだろう。
カブトムシの養殖でもしていたのか?

隣のおばちゃんはそれを知っていて連れて行ってくれたのか?

そしてあの高原のような場所はどこだったのだろう?

 

子供心にも不思議だったが、ついに聞かないままだった。

しかしそれもそのはずだろう、次から次へと来る子供の探求心は

過去の疑問なんてほったらかしにしたまま毎日をぶっとばすのだから。


 

オレはそれから2年して長崎を引っ越して大阪に行った。

それ以来おばちゃんには会っていない。

今でも健在だろうか。もしも会う機会があるなら聞いてみたい。