フェイク 第1249号 (発行=11.10.31)


葬儀の途中、坊主が博物館見学へ
日顕宗は「葬式仏教」以下の最悪の邪宗教
「友人葬」こそ仏法の正道、広がる共感




 日顕宗では「坊主が葬儀で祈らなければ、故人は成仏しない」とか「塔婆を立てなければ、追善回向にはならない」等々と脅している。また「友人葬は間違いです」という粗末なビラを一枚十円で法華講員に売りつけて配布させていた。そのビラにも坊主のいない葬儀では故人は浮かばれない等と書いている。

 だが、これらは供養を貪る坊主の口実に過ぎないことを物語る前代未聞の出来事があった。

 静岡新聞の十月二十七日付に富士宮市上条のAという男性(八十二歳)が二十二日に死去、二十五日に告別式が行われたことが報じられていた。

 このAは法華講員で息子が出家し、娘も坊主に嫁いでおり、いわゆる寺族である。そのため、坊主共も告別式に多く参列していた。

 富士宮市内の火葬場で、Aの遺体を火葬している最中、坊主十数名が悲しみに沈む遺族を尻目にゾロゾロと揃って火葬場近くにある「奇石博物館」に見学に出かけたという。当然のことながら、顰蹙を買い、悪評として広がっている。

 過去にも読経中に居眠りしたり、「供養が少ない」と遺族に請求する日顕宗の坊主もいたが、博物館見学とは唖然とする。

 「大石寺の僧は葬儀の基本も心得ていない」「故人を悼む気持ちが微塵もない」との声が聞かれ、セレモニー・ホールの従業員も「坊さんが火葬中に博物館に見学に行くなんて、こんなことは初めてです」と驚き、呆れていたという。

 こんな無礼極まる坊主共が、葬儀で故人の成仏を祈っているとは、到底、思えない。

 宗門は友人葬、同志葬に難癖をつける前に、坊主共の性根を叩き直し、信心のイロハを教えるべきだが、今の宗門には、それが出来る「本物の僧」がいないから無理な話か。

真心の題目が成仏の道

 葬儀で大切なのは故人を悼む真心からの題目である。

 それは日蓮大聖人が「南無妙法蓮華経とばかり唱へて仏になるべき事尤も大切なり」「今日蓮等の類い聖霊を訪う時、法華経を読誦し南無妙法蓮華経と唱え奉る時・題目の光無間に至りて即身成仏せしむ、廻向の文此れより事起るなり」と仰せられている通りである。

 しかし、日顕宗の坊主共にとっては、故人の成仏など関係がない。葬儀も塔婆も戒名も金もうけの道具で、まさに、仏法を利用して供養集めに血道をあげる「食法餓鬼」なのである。

 既成仏教が「葬式仏教」と呼ばれているように、日本では葬儀と仏教が密接に関係している。これは江戸時代の封建的な「檀家制度」の名残りであるが、この「葬式仏教」以下の最悪の邪宗が日顕宗だ。

 学会が邪宗門と決別した「魂の独立」から満二十年。この間、仏法の本来の精神に基づいた「平成の宗教改革」を堅実に推進してきた。その一つが「友人葬」である。最近は世間でも葬儀のあり方が色々と議論され、テレビ番組でも取り上げられている。

 そのなかで「坊主も戒名も葬儀には必要ない」と言う識者が多い。まさしく、学会は葬儀でも時代を先駆けしていると言ってよい。





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