フェイク 第1350号 (発行=12.12.28)


窮地に立つ日顕と配下の邪義班
逃げ回る日顕に「二度目の敗北」を通告
改革同盟の松岡氏、宗門側の愚問を論破




日顕の九十歳の誕生日であった十二月十九日、青年僧侶改革同盟の松岡幹夫氏による「阿部日顕の二度目の敗北を通告し、未回答の二五四問を含む二八二問を示す」との百八十一頁にのぼる糾弾文書が日顕に届けられた。この日、日顕は都内の一等地に建つ宗門の建物を私物化した豪邸でファミリーや取り巻きの坊主共を集めて誕生会を開催していた。上機嫌の最中に、これまで松岡氏の糾弾から逃げ回っていた日顕に届いた厳しい追撃文書に祝賀の気分も吹き飛び、顔面蒼白になったのではなかろうか。


 同文書は全国の末寺にも順次、送付され、今頃は末寺坊主らが興味深く読んでいることであろう。


 松岡氏と日顕側との論争は約八年前に遡る。平成十六年十二月二十日、松岡氏が「現代の大石寺門流における唯授一人相承の信仰上の意義」という学術論文を「東洋哲学研究所紀要」第二十号に発表したことに端を発する。それに対して邪宗門の青年僧侶邪義破折班(以下「邪義班」と記す)が約半年も経ってから小冊子「離脱僧松岡雄茂の本宗の唯授一人相承に対する邪誑の難を粉砕す」を発行したが、松岡氏は追撃の手を緩めることなく、日顕側を徹底的に追い込んでいった。



 窮地に立った日顕は遁辞を並べるだけで、まともな反論ができないまま今日に至っている。


 日顕の敗北を決定的にしたのは、今年八月の教師講習会で松岡氏の質問に回答できなかったことである。


 松岡氏は日顕の「百六箇抄」講義に関する二十五項目の質問を出し、教師講習会で回答するよう要求。松岡氏らの質問は日顕の著作の「カタカナ表記」の必要性や日顕の「己義」などを問うた興味深いものばかりであった。これに対し日顕は逃げ口上を述べ、邪義班が作成した粗雑な文書を配布して、お茶を濁したのだ。



 今回は日顕の意を受けた邪義班が「松岡幹夫は正々堂々と返答せよ」という幼稚な文書を松岡氏宛てに送付すると共に機関誌「大日蓮」十一月号に掲載したことに対する松岡氏の反撃文書、頂門の一針である。



厳しい再質問事項



邪義班には教学部長の水島公正、布教部長の阿部信彰らの役僧も関与しているようだが、邪義班文書は、お粗末の極み。松岡氏の追及には何一つ回答できず、論争とは関係のない二十項目の質問の羅列に終始した。


 この点について松岡氏は「この行為は、将棋の対局中に盤をひっくり返すようなものであり、真面目な法論を放棄したに等しい。よってここに、邪義班及びその主人たる阿部日顕の敗北を、広く宗の内外に通告する」と断じている。


 その上で松岡氏は、日顕の相承に関しても、血脈の内付を受けたという昭和五十三年四月十五日の時間と大奥の部屋の特定、更にどのように受けたのか具体的に明らかにするよう迫り、また「日顕」という自分で勝手に付けた日号にも鋭く言及している。


 更に「再質問事項」として「一般常識の部」「仏法の部」「世法即仏法の部」「現証の部」に分けた容赦のない質問で日顕を土壇場に追いつめた。日顕には寿命の縮む思いの贈物である。




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