先日は愚痴吐き記事お見苦しくてすいませんぐすん

 

親友やブログに書いたことによって大分心が楽になりました。

本当にありがとうございました!

 

 

 

 

 

 

 

最近のツレの吃音、実はすごく調子が悪いんです。

 

 

ツレの話しによると、ツレの人生のなかで一番悪いそうです。

実際に私もあれ?って思うことが多いです。

 

 

ツレの調子の悪さにまだ気づいていなかった1〜2ヶ月前くらいの話、

ツレから電話がかかってきたのです。

しばらく無音。

あれ?って感じで笑っているのが聞こえ(ツレは声が出なすぎて笑ったみたい)、テレビ見ながら電話してるのかなと私は思って、やや怒り気味になって「もしもし!」って。

数秒待つと

ツレ「もしもし、ごめん。声が出なくて」

私「あっ、そうだったんだ。ごめん」(怒ってごめん…)

 

 

こんなことがあって、電話だけでなくて日常会話でも頻繁に声が出ずに数秒待つことが最近度々出てきました。

 

もちろん仕事に支障がでないはずがありません。

 

 

先日、近くの同業者に挨拶する用事があって、自己紹介の名前が出てこず。

 

 

 

 

 

名前が言えないと相手の反応がどうなるかって想像したことがありますか?

 

 

 

 

 

 

「はじめまして、山田花子です。よろしくお願いします!」

「・・・無音・・・。(7秒カウントしてみてください)

 あ、あさのです。よろしくお願いします」

7秒待ってくれることがまず一つのハードル。仕事中の会話で7秒寛容に待ってくれる職場にいる方は、何割くらいでしょう?

言えたところで、その人への印象はどうなるでしょうか?

ここにはいろんなハードルが、知的知能指数の印象、挙動不審な人の印象、オドオドしている印象、何よりも生きる上で大事な格付け。ここで格付けはどこに入るでしょう。

私なら自分以下に感じると思います。その人を見下すことはしませんが(残念ながら吃音を知る前は見下していたと思います)、すごくホッとして親しみを感じる(あくまで今は)と思います。

 

もちろん、この格付けは、のちのち変わることだって十分にあります。ただ、吃音を持つとそれを覆すことにもハンデがあるといえます。 

 

 

 

 

 

 

なんで吃音の大変さってここまで書かんといかんのだろう。

今日は他にも書きたいことがあって。

というか、上の表現、大分シビアに書いてしまいました。

当事者の方、ごめんなさい。

私が思う、、感じる現実を書いております。

ので、主観ももちろんおおありです。

ただ、非当事者の方には、吃音の現実に向き合ってほしい、一人でも多くの人にと願っています。主観を交えた表現方法でしか、吃音の苦しさを伝えなきゃいけないところが、吃音を伝えることの難しさであったりもします。。

 

 

 

 

 

 

さて、今回のことでびっくりしたのは、吃音は年齢とともに落ち着くと聞いていたのですが、それがそうでもなさそうだということ。

年を重ねているのに、吃音がひどくなるなんて。

症状がでていることはしょうがないのですが、大事なのはうまく付き合えるかということです。

もちろん、症状が重くなっているので辛さが増すことは度々あるのですが、今のところ仕事ができないわけではないレベルなので大丈夫だそうで。

 

 

 

そして、先日、転勤前の職場に電話したところ声が出なくて、警備員さんに不審者扱いされ、目的の相手まで電話を回してもらえなかったそうです。

結局、目的の相手に電話するために、同僚に電話番号を教えてもらえるようメールを送り、数日後、直接携帯電話にかけたそうですが。

たった一本の電話、なんでここまで手間がかかるのでしょうか。

この日のツレは流石にがっくりして、帰ってからずっとフテ寝してました。

 

 

 

 

吃音をもつと、人生なかなかハードです。